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国宝-書跡典籍|古事記(賢瑜筆)[宝生院(大須文庫)/愛知]

国宝DB-書跡・典籍

宝生院大須観音と大須文庫のこと

名古屋市の中心地にある大須観音は、正式には「北野山真福寺宝生院」という真言宗智山派の寺院で、日本三大観音の1つにあげられる。 寺の周辺は、門前町から発展した商店街が広がり、名古屋でも有数の繁華街になっている。

元は、尾張国長岡庄大須郷(現在の岐阜県羽島市大須)に、後醍醐天皇の勅命によって北野天満宮が造営され、能信上人を別当とした。 後醍醐天皇の皇子の後村上天皇も深く帰依し、伽藍が造営され勅願所となった。 戦国時代には織田信長が寺領を寄進し、江戸時代に入ると徳川家康の命によって現在地に移された。

能信は学問にも優れた僧で、国内外の貴重な書物を多数集め、寺の経蔵は「大須文庫」と呼ばれた。 現在まで15,000もの書物が伝わり、4件の国宝をはじめ多くが文化財に指定されている。 その蔵書は「真福寺本」「大須本」などと呼ばれる。

古事記のこと

神話時代から推古天皇までを記した歴史書で、重なる時代を書いた歴史書の「日本書紀」とあわせて「記紀」と呼ばれる。 天武天皇が稗田阿礼(ひえだのあれ)に命じて誦習(読み覚えること)させた帝紀と旧辞を、天武天皇の崩御後に、元明天皇が太安麻呂 (おおのやすまろ)に命じて聞き取って編纂したもの。

神話が多く、歴史資料としては信憑性に欠ける部分もあるが、「日本神話」として古くから読み継がれ、馴染み深いものになっている。 漢字の意味は問わずに音のみで表記する「万葉仮名」が使われ、日本書紀よりも古い時代の呉音によるため、国語学的な研究資料としても評価が高い。 

国宝『古事記』

初代別当「能信」の孫弟子にあたる僧「賢瑜」が、師で真福寺2世の「信瑜」の命によって書写したもので、1371~1372年にかけて書かれている。 粘葉装の冊子3冊で、平安時代頃の古写本が多く残る日本書紀に比べて時代が下がるが、現存最古の古事記の写本である。 「真福寺本」と通称される。

公開履歴

2023/8/29~9/30 名古屋市博物館 常設展示室
2022/3/5 宝生院(大須観音)里帰り展示
2017/8/8~9/3 名古屋市博物館 常設展示室
2014/2/18~3/9 九州国立博物館「国宝 大神社展」
2012/12/1~2013/1/14 名古屋市博物館「古事記1300年 大須観音展」
2012/6/16~7/16 奈良国立博物館「古事記の歩んできた道」

文化財指定データ

【台帳・管理ID】201-574
【指定番号】00023-00
【種別】書跡・典籍
【指定名称】古事記〈賢瑜筆/〉
【ふりがな】こじき
【員数】3帖
【時代・年】南北朝時代
【作者】賢瑜
【所有者】宝生院
【国宝指定日】1951.06.09

出典:国指定文化財等データベース一部抜粋
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