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国宝-建築|大徳寺 唐門[京都]

国宝DB-建築

大徳寺のこと

臨済宗大徳寺派の本山で、京都御所の北西、北大路の北側に位置し、周辺には20もの塔頭がある。 正和4年(1315年)に、大燈国師 宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)によって開かれ、応仁の乱で荒廃するが、アニメ「一休さん」のモデルになった一休宗純によって再興される。

一休宗純以降も東山文化の拠点になり、茶の湯に関係する人物も多く、ゆかりの文化財も多数残されている。 本能寺の変で最期を遂げた織田信長の葬儀が、豊臣秀吉によって大徳寺でとり行われると、戦国大名らが塔頭を建てるようになり、現在でも20を超える塔頭がある。

国宝『唐門』

大徳寺の本坊には、国宝『方丈』の南側に枯山水の庭が広がり、庭を囲む塀に唐門が建てられている。 これは、豊臣秀吉の建てた聚楽第の遺構だと伝わり、勅使門の西にあったものを、明治時代に現在の場所に移築している。

檜皮葺の切妻屋根の前後に唐破風が付けられた四脚門で、様々な彫刻に彩色が施され、華やかな飾り金具が多用される。 日光東照宮にある『陽明門』のモデルになったといわれる。

この国宝を観るには

大徳寺の本坊は通常非公開だが、秋頃に特別公開されたり、京の夏の旅・冬の旅に参加することもある。 方丈の庭に面しているので、縁から庭越しに観ることができるが、近づくことはできず、庭の写真撮影も禁止されている。

10月第2日曜には「曝凉」(=虫払い・風入れ・虫干し)が方丈で開かれ、その日には、国宝や重要文化財を含む100点を超える書画が各室に展示される。 荒天中止。

※方丈は2020年~修理工事中

大徳寺本坊の玄関から、国宝『唐門』がわずかに見える

文化財指定データ

【台帳・管理ID】102-1533
【指定番号】00047
【種別】近世以前/寺院
【指定名称】大徳寺唐門
【ふりがな】だいとくじからもん
【員数】1棟
【時代・年】桃山時代
【構造・形式】四脚門、切妻造、前後軒唐破風付、檜皮葺
【所在地】京都府京都市北区紫野大徳寺町
【国宝指定日】1952.03.29

鑑賞ログ

2023年5月

2023/4/27~6/4に京都春秋さんの特別公開で、大徳寺本坊の仏殿・法堂・金毛閣・唐門の公開がありました。 自由拝観ではなく、20分おきに1回20名のガイドツアー形式で、1名¥2,000とちょっとお高めです。 そして、事前予約ができないため、受付に行くと「今、ご案内できるのが1時間15分後です」と言われてしまい、遠征組にはちょっと手痛い仕組みです。 私は早めに行ったのと後の予定も何とかなったので良かったですが、ギリギリで本日終了と言われたり次の予定で拝観できない方も出そうな気がしますので、事前予約(事前決済でもいいので)できるようになるといいなと思いました。

特別拝観はとても充実していて、勅使門の下で大徳寺の説明を受け、白洲を踏まないように金毛閣に移動します。 金毛閣は大徳寺の三門(三解脱門の略)で、千利休が二層を寄進したので利休の木像を安置したところ、下を通った豊臣秀吉の怒りをかって切腹することになったという話が有名ですよね。 今回、二層に上がることはできませんが、下から大体この辺りに安置されています、という場所は教えていただけました。

続く仏堂は初の一般公開だそうで、本尊の釈迦如来像の他、歴代住持のお位牌や禅僧の木像なども安置されていました。 天井には狩野派の2代目狩野元信が飛天を描いていますが、劣化して図柄はわからないくなっているのが残念です。 その奥にある法堂の天井画は元信のひ孫の狩野探幽が描いたもので、こちらは時代が下がるので良い状態で残っています。 この龍の下で手を打つと反響で龍が鳴いたように聞こえるということで、今回のツアーでは説明の後に1人1回ずつ手を打たせてくださいました。 神社のお参りもですが、周りに人がいるところで手を打つのって緊張しますね(笑)

最後が国宝の唐門です。 大徳寺方丈の特別公開で庭側から観たことはありましたが、法堂側から観る機会はほとんどない貴重な機会です。 しかも、木の柵の中に入れて頂き間近で見学できる上、こちらだけ写真撮影もOKでした。 日光の陽明門は一日眺めても飽きないことから日暮門とも呼ばれますが、この唐門はそのモデルになったというだけあって、みんな飽きずに眺めていました。 愛嬌ある動物の彫刻もかわいいのですが、驚いたのが柱で、上下に漆と金具の飾りのようなものがありますが、実は柱と同じ木から彫り出しているのだそうです。

今回は説明の上手なガイドの方で、とても楽しく貴重な特別拝観になりました。 レアな機会だと思うので、行けそうな方はぜひ参加をお勧めします。

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