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国宝-建築|大徳寺 方丈・玄関[京都]

国宝DB-建築

大徳寺のこと

臨済宗大徳寺派の本山で、京都御所の北西、北大路の北側に位置し、周辺には20もの塔頭がある。 正和4年(1315年)に、後に大燈国師の諡号が贈られる宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)によって開かれ、応仁の乱で荒廃するが、アニメ「一休さん」のモデルになった一休宗純によって再興される。

一休宗純以降も東山文化の拠点になり、茶の湯に関係する人物も多く、ゆかりの文化財も多数残されている。 本能寺の変で最期を遂げた織田信長の葬儀が、豊臣秀吉によって大徳寺でとり行われると、戦国大名らが塔頭を建てるようになった。

国宝『大徳寺 方丈・玄関』

方丈は、寛永12年(1635年)に、玄関は1年遅れて寛永13年(1636年)に建てられた。 一般的に方丈は、庭に面して3室、その裏に3室の6室で構成されることが多いが、大徳寺の方丈は4室ずつの8室からなっている。 方丈から眺められる枯山水の庭越しには、聚楽第から移築したと伝わる国宝『唐門』がある。

奥の屋根が国宝『大徳寺方丈』

大燈国師像をまつる「雲門庵」が併設されているが、これは没後に別の寺院を建てるに及ばないという大燈国師の遺言によるもの。 方丈の障壁画は狩野探幽の筆で、中心になる部屋には山水図が描かれている。

この国宝を観るには

※2020年から10年を予定する修理工事に入っています。

通常非公開だが秋に特別公開されることが多い。 京の夏の旅・冬の旅に参加する場合もある。

大徳寺方丈が公開される場合は写真の「庫裏」から入る

10月第2日曜には「曝凉」(=虫払い・風入れ・虫干し)が方丈で開かれ、その日には、国宝や重要文化財を含む100点を超える書画が各室に展示される。 荒天中止。

大徳寺 曝凉

文化財指定データ

【指定番号】00189
【種別】近世以前/寺院
【所在地】京都府京都市北区紫野大徳寺町
【国宝指定日】1957.06.18
【説明】方丈は寬永十三年再建したもので、八室からなる特殊な規模をもち、これに雲門庵が附属している。 各部の意匠手法は簡素明快で、よくまとまっており近世初期における禅宗方丈の一例ということが出來る。

【台帳・管理ID】102-1540
【指定名称】大徳寺 方丈
【ふりがな】だいとくじ ほうじょう
【時代・年】寛永12年(1635年)
【構造・形式】桁行29.8m、梁間17.0m、一重、入母屋造、桟瓦葺、背面雲門庵附属
【附指定】棟札 2枚

【台帳・管理ID】102-1541
【指定名称】大徳寺 玄関
【ふりがな】だいとくじ げんかん
【時代・年】寛永13年(1636年)
【構造・形式】桁行六間、梁間一間、一重、唐破風蔵、桟瓦葺

出典:国指定文化財等データベース一部抜粋

鑑賞ログ

2019年10月

曝凉に行ってきました。 曝凉だと、どうしてもメインが書画になってしまいます。 方丈の障壁画は狩野探幽によるのですが、それを覆いつくすように牧谿の絵画や後醍醐天皇の宸翰が飾られています。 この日はそちらに気を取られてしまったので、また機会があれば方丈のみで観てみたいです。

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