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国宝-建築|仁和寺 金堂[京都]

国宝DB-建築

仁和寺のこと

仁和寺は、光孝天皇が「西山御願寺」を発願し、崩御後に子の宇多天皇の治世である仁和4年(888年)に完成したので、元号から「仁和寺」となった。 譲位した宇多法皇が入山し、以降も皇族が住職を務める「門跡寺院」として繁栄し「御室御所」とも呼ばれた。 現在は真言宗御室派の総本山で、華道の「御室流」の家元でもある。

応仁の乱で伽藍を焼失し一時荒れるが、三代将軍家光の頃に支援を受け伽藍が整った。 この時、京都御所は家光による「寛永の造営」をしており、その前の家康による「慶長の造営」の遺構をいくつか下賜された。 境内に咲く背の低い「御室桜」が有名である。

仁和寺「御殿」の勅使門から白書院を眺めたところ

国宝『金堂』

国宝の『金堂』は本尊の阿弥陀如来を安置する本堂にあたる。 通常は非公開だが、春秋の特別拝観などで内部拝観できることもある。 『金堂』は、1613年に建立された御所の「紫宸殿」を、寛永(1624~43年)に移築したもので、現在残る紫宸殿の遺構としては最古のものである。

紫宸殿は、檜の皮を重ねて屋根の素材とする「檜皮葺」だが、移築に伴い瓦葺に変更された。 蔀戸などは寝殿造りのままで当時がしのばれる。  紫宸殿として使われていた頃に「 高御座(たかみくら )」が置かれていた場所に、現在は本尊が安置されている。 現在は霊宝館に安置されている国宝『阿弥陀如来・両脇侍像』は、創建当時からの金堂の本尊であった。

国宝『仁和寺 金堂』
国宝『仁和寺 金堂』 紫宸殿の遺構

この国宝を観るには

「御室桜」の時期(4月上~中旬)以外は境内は無料で、国宝『金堂』はごく近くで観られる。 内部は特別公開時のみ、有料で入場できる。 境内にある宿坊「御室会館」に宿泊すると、金堂で毎朝行われる朝のお勤めに参加することができる。

公式サイト:http://www.ninnaji.jp/

文化財指定データ

【台帳・管理ID】102-01853
【指定名称】仁和寺金堂(にんなじこんどう)
【時代・年】桃山時代、慶長18年(1613年)
【構造・形式】桁行七間、梁間五間、一重、入母屋造、向拝一間、本瓦葺
【所在地】京都市右京区御室大内
【所有者】仁和寺
【重文指定日】1900年4月7日
【国宝指定日】1953年11月14日
【説明】慶長十六年(1611)造営の御所の紫宸殿を寬永二十年に移建したもので、近世における紫宸殿唯一の遺構として重要なものである。

出典:国指定文化財等データベース一部抜粋

ご朱印

ご朱印は有料拝観の御殿で頂けます

仁和寺のご朱印

鑑賞ログ

2018年8月

有料エリアの「御殿」とは離れたところ、二王門・中門を抜けた正面にありました。普段は中に入れないようなので、外からの鑑賞のみ慶長年間に造営された御所の紫宸殿を寛永20年(1643年)に移築したもの。御所らしく蔀戸だったが、屋根は瓦葺なのは移築時かその後の時代に瓦にしたのかな?パンフレットや案内板には書いてありませんでした。

2018年11月

秋の特別公開期間で内部拝観する。 新しい門跡にかわったことと台風の被害復旧の為もあり、「裏御堂」という御本尊の裏側に描いてある「五大明王像」を公開していた。 この五大明王像は板に直接岩絵の具で描いてあり、通常はまったく陽のあたらない場所。 372年の間、一度も公開されたことが無く今回が初の公開だそう。 3百年以上経っていると思えない鮮明さだった。
真言宗系のお寺ではよく五大明王像を観ますが、横一列並びの時は不動明王がセンターで、そのすぐ右にはシヴァ神とウマーをふんずけた降三世明王、向かって左端はどちらかと言うと水牛に目が行ってしまう大威徳明王、な並び順が多い気がします。 こちらの五大尊像はこの金堂の正面から観ると同じ並びになるようですね。 裏側から五大明王に向かってだと、よく観る配置とは逆並びになるようです。
金堂の御本尊は阿弥陀三尊像で、後ろの壁(五大明王の反対側にあたる部分)や柱には、仏像や極楽浄土の様子が描かれています。 須弥壇の両端には興福寺の国宝が有名な「天燈鬼」「龍燈鬼」立像があってとてもチャーミングです。

この金堂と、すぐ近くに建つ重要文化財の「経堂」の内部拝観で¥800(御殿の拝観や宝物館は別料金)とちょっと高い気もしますが、数十分ごとにお坊さんが堂内の説明をしてくれたり(若いお坊さんが多いようですが私の時は白いひげが素敵なダンディな財務部長でした)とても良い記念になりました。 次は2019年春頃に観音堂の内部拝観があるかもということで、東博で観て大感激したあの仏像たちを本来ある場所で観られるって、また来てしまいそうです。

仁和寺 2018秋の特別拝観チラシ
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