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法隆寺 大講堂[奈良]

国宝DB-建築

国宝『大講堂』

法隆寺の中心地である西院伽藍は、中門から大講堂をぐるりと廻廊で結ばれており、その中に中心より東に金銅が、西に五重塔が建っている。 大講堂は、法要や学問を行う場所で、中門の正面に建ち、金堂に比べてもかなり大型の堂である。

法隆寺西院の回廊は、元は折れ曲がった部分(経蔵・鐘楼の手前)で閉じており、講堂は廻廊の外側に建っていた。 延長3年(925年)に焼失し、65年後の正暦元年(990年)に再建された際に、廻廊が延長され現在の形になった。 再建された平安中期には、仏堂は板張りが増えてくるが、この大講堂は土間で作られている。

内部には、再建の頃に作られた、定朝様の薬師三尊が安置されている。 仏像は平安らしい姿をしているが、その左右には僧が討論や試験を行う「論議台」が置かれるなど、古式を残している。 

この国宝を観るには

通常の拝観エリアなので、開門時間内なら拝観できる。 この講堂の更に奥の階段を上ったところに、11月1~3日だけ開扉される上御堂があり、ご開帳の時は大講堂の奥の扉から向かう。

文化財指定データ

【台帳・管理ID】102-2686
【指定番号】00027
【種別】近世以前/寺院
【指定名称】法隆寺大講堂
【ふりがな】ほうりゅうじだいこうどう
【時代・年】正暦元年(990年)
【構造・形式】桁行九間、梁間四間、一重、入母屋造、本瓦葺
【国宝指定日】1951.06.09
【説明】金堂、塔の中央後方に離れて建つ大建築で、金堂よりもはるかに大きい。現在両脇に回廊が取りついているが、もとは北回廊は金堂・塔を囲んで南方で閉じられ、創建堂の両脇には東西棟の北僧房が建てられていた。
 旧堂が延長三年(九二五)に焼失、現在の建物は正暦元年(九九〇)に再建された(『別当記』)。再建後たびたびの修理改造をうけていて、中世に西側に庇が設けられ、元禄の修理にこの部分を取りこみ、西側柱を移動させてそのあとを補い、九間堂に改めた。したがって創建堂も現堂の再建時も、桁行は八間であった。昭和の大修理で軒・小屋組・造作などは再建当時の形式に復原されたが、桁行は九間のままになっており、本来は柱列が重複する西方一間分だけ短い。
 壇上積基壇上に立ち、組物は側・入側とも平三斗、中備間斗束、繋虹梁を入れ、母屋は断面馬蹄形の桁の上に大虹梁を架け、周囲は化粧屋根裏、母屋は大虹梁の下に組入天井を張り、三間の来迎壁と仏壇を設ける。軒は二軒で、垂木上に木舞をあみ、垂木の間は土壁で仕上げ、化粧垂木の上に別に野小屋を設けて、奈良時代の技法より国風化している。
 創建堂は全体の規模位置は同じであるが、庇の柱間は現堂のほうが大きい。『資材帳』には大講堂はみられず、かえって食堂の規模がこれと一致し、創建堂の礎石が古材転用であることなどとともに、創立沿革に複雑な事情があったことを思わせる。

出典:国指定文化財等データベース一部抜粋
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