功山寺のこと
長府毛利家の菩提寺「功山寺」は、嘉暦2年(1327年)に臨済宗の「長福寺」として創建され、足利氏や大内氏の尊崇を受けるが、毛利元就に追われた大内義長がこの地で最期を遂げる。 一時荒廃するが、毛利元就の孫で長府藩初代藩主の毛利秀元が復興し、2代藩主の光広が毛利家の菩提寺とし、曹洞宗に改宗する。 幕末には、同寺の書院に七卿落ちで都を追われた公卿のうち5名が滞在し、高杉晋作が拝謁後にこの寺で挙兵した明治維新ゆかりの地でもある。
国宝『功山寺 仏殿』
国宝の仏殿は、長福寺時代の元応2年(1320年)に建立されたことが柱の墨書からわかっている。 ベルのような形をした「花頭窓」や、反り返った軒先、床板を張らずに土間とするなど「禅宗様」の様式で建てられており、年代のはっきりした禅宗様の仏殿としては日本最古である。 内部には千手観音を安置している。
1層(1階建)だが、裳階と呼ばれる風雨避けと装飾を兼ねた屋根が、中ほどに付けられている。 一時期、瓦葺にされていたが、大正7年(1918年)の解体修理で、元の檜皮葺に戻されている。
拝観情報
料金:無料(書院は¥300)
時間:境内自由(書院見学は9:00~17:00)
※仏殿は外観見学のみ、日中は扉が開けられ中の様子が覗ける
交通:下関駅・長府駅・新下関駅からサンデンバス「城下町長府」下車、徒歩約10分
ご朱印
文化財指定データ
【台帳・管理ID】102-3198
出典:国指定文化財等データベース一部抜粋
【指定番号】00158
【種別】近世以前/寺院
【指定名称】功山寺仏殿
【ふりがな】こうざんじぶつでん
【員数】1棟
【時代・年】元応2年(1320年)
【構造・形式】桁行三間、梁間三間、一重もこし付、入母屋造、檜皮葺
【所在地】山口県下関市長府川端町
【国宝指定日】1953.11.14
鑑賞ログ
2019年8月
城下町長府のバス停からは、小川のそばの参道を歩いて寺まで向かえます。 国宝の仏堂は本堂ではなく、やや脇にひっそりとあり、あまり注目されていない様子。 高杉新作が挙兵した地ということで、明治維新関係の観光客の方が多そうです。 仏殿は内部拝観不可ですが、おそらく日中だけでしょうが、訪問時は手前の柵が開けられていて目の前までは行けました。