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国宝-彫刻|薬師如来立像[神護寺/京都]

国宝DB-彫刻

神護寺のこと

平安京の造営に尽力した和気清麻呂(わけのきよまろ)によって奈良時代末期に創建された「高尾山寺」と、同じく清麻呂が河内地方に建てた「神願寺」と合併して「神護寺」となる。 

唐への留学から戻った空海は、十数年ほど神護寺に住し、最澄らへ灌頂(密教の儀式)を行うなど、平安初期の仏教の中心地となる。 平安後期には一時衰退するが、鎌倉時代に文覚上人によって再興され、現在は高野山真言宗の「遺跡本山(ゆいせきほんざん)」とされる。

国宝『薬師如来立像』

神護寺の本尊で、金堂の厨子に安置されている。 像高170cmほどのカヤの一木造りで、奈良時代後期~平安時代頃に作られたものだと考えられる。 肉厚で重厚感のある体躯に、翻波式衣文の衣がまとわれ、顔の彫りも深く螺髪が大きい。 全体は木地のままで、唇など一部だけが彩色される、檀像として作られたと考えられる。 右手(向かって左)は、手のひらをこちらに向ける施無畏印で、左手は薬壺を持つが、右手と同じ高さで胸の位置までかかげるのが珍しい。

鎌倉時代に編纂された神護寺の資料に、弘仁年間(810~824年)の資財帳が引用されており、その中に「薬師仏像一躯 脇士菩薩像二躯」とあるのが、この像だと思われる。 資財帳は、定額寺に義務付けられていた為、神護寺の前身の1つ「定額寺」のものだと考えられるが、高雄山寺とする説もある。

この国宝を観るには

神護寺の本尊で、拝観時間内ならいつでも観ることができる。 「高雄」「山城高雄」のバス停からは、谷を超えることになり、20分ほど石畳を歩くことになる。

神護寺 金堂

寺外での公開

2024/7/17~9/8 東京国立博物館「神護寺-空海と真言密教のはじまり」

文化財指定データ

【台帳・管理ID】201-00164
【指定番号】00002-00
【種別】彫刻
【指定名称】木造薬師如来立像(本堂安置)
【ふりがな】もくぞうやくしにょらいりゅうぞう
【員数】1躯
【時代・年】平安時代
【所在地】神護寺
【国宝指定日】1951.06.09

出典:国指定文化財等データベース一部抜粋

ご朱印

鑑賞ログ

2019年5月

広い金堂で、厨子の中に安置されていますが、思ったよりかなり小ぶりな像でした。 厨子自体が顔の高さあたりにあるので、見上げるようになり、余計小ぶりに感じるのかもしれません。 写真で見ると、重厚感を超えて威圧感すら感じるようですが、近くで観ると繊細で穏やかなので驚きました。

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