国宝『如意輪観音坐像』
観心寺の本堂にあたる国宝『金堂』に安置された本尊で、秘仏のため通常は厨子が閉ざされており、4/17・18の2日間だけ開扉される。像高110cm弱の坐像は、1面6臂(顔が1つ、手が6本)の姿で、彩色がされている。 カヤの一木造りで腕などは別材をはぎ、上に木屎漆(こくそうるし=漆に木粉や繊維をまぜたもの)を盛る乾漆の技法も併用している。
空海は、大同3年(808年)に観心寺を訪れ北斗七星を勧請しているが、その7年後の弘仁6年(815年)に再び訪れ、その際に衆生の除厄のためにと刻んだのが、この如意輪観音像だと伝わる。 空海の手によると伝わる仏像は多くあるが、この像は制作された時期がその時期と一致している。
観心寺と国宝『金堂』のこと
観心寺は、役小角によって開かれたと伝わり、平安時代には弘法大師空海がこの地で北斗七星を勧請し、境内には現在も星塚が残っている。 南朝方の楠木氏の菩提寺で、後醍醐天皇の庇護を受け、一時的な天皇の宮である「行宮(あんぐう)」になったこともある。 楠木正成が討ち死にすると、首が観心寺に送られ、首塚に葬られた。
観心寺は、本尊の安置される『金堂』も国宝に指定されており、御堂と中に安置される仏像が共に国宝に指定されるのは、全国でも数か所のみ。
この国宝を観るには
秘仏のため、4/17・18のご開帳でしか観られない。 入山料は、通常期は¥300だが、本尊のご開帳期間は¥700になる。
文化財指定データ
【台帳・管理ID】201-166
出典:国指定文化財等データベース一部抜粋
【指定番号】00005-00
【種別】彫刻
【指定名称】木造如意輪観音坐像(金堂安置)
【ふりがな】もくぞうにょりんかんのんざぞう
【員数】1躯
【時代・年】平安時代
【所有者】観心寺
【国宝指定日】1951.06.09