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国宝-工芸|菅公遺品6点[道明寺天満宮/大阪]

国宝DB-工芸

道明寺天満宮のこと

古来から、この一帯は「土師氏」の領地で、聖徳太子の発願で土師氏の一族が土地を喜捨して「土師寺」が建立される。 平安時代には菅原道真のおばにあたる「覚寿尼」がおり、道真もたびたびこの寺を訪れ、大宰府に赴く時にも立ち寄っている。 道真没後に官位が追贈され天神信仰が盛んになると、土師寺はゆかりの地として道真の刻んだ観音をまつる道明寺となり、境内に天満宮ができる。 明治の神仏分離で、道明寺と道明寺天満宮とに分かれて隣接している。

道明寺天満宮

国宝 菅公遺品6点

菅原道真がおばの元に残した身の回りの品が、天満宮の神宝とされ現在まで伝わっている。 平安時代頃に作られたもので、一部は唐からの舶来品だと考えられる。

犀角柄刀子

柄の部分が犀の角で作られた小刀で、道真が大宰府に赴く前に、この小刀で自像を刻んだと伝えられる。 

玳瑁装牙櫛

刃のやや長い象牙製の櫛で、玳瑁(べっ甲)で花などが細工されている。 国宝の指定は日本の平安時代とされているが、唐で作られたものだと考えられる。

伯牙弾琴鏡

伯牙は、古代中国の琴の名手で、中国風の人物が琴を弾く様子を、鏡の背面に表している。 平安時代にはこの画題が好まれ、類品は比較的多くある。

青白磁円硯

白磁で作られた円形の硯で、中央がドーム型に膨らみ、その周囲がくぼんで墨がたまる、ジンギスカン鍋のような形をしている。

牙笏

笏は、衣冠束帯姿の時に手に持つ木の板だが、これは象牙でできている。 一般的に手に持つ部分が細くなるが、これはまっすぐになっている。 

銀装革帯

銀メッキを施した銅の飾りを15個取り付けた革のベルトで、束帯を着用する時に用いた。 貴石などを装飾に用いた帯は、比較的伝来品が多いが、金属飾りの帯は少なく貴重である。

道明寺天満宮 宝物館パンフレットより
道明寺天満宮 宝物館パンフレットより

この国宝を観るには

道明寺天満宮の境内にある宝物館で公開されるが、公開期間は少なく、正月3が日、梅まつり期間の週末のほかは、年に数日程度しか公開されない。 まれに、他館の特別展などへ出展される場合もある。

道明寺天満宮 宝物館

文化財指定データ

【台帳・管理ID】201-394
【指定番号】00106-04
【指定名称】犀角柄刀子
【ふりがな】さいかくえとうす
【員数】1口
【国】日本
【時代・年】平安時代
【寸法・重量】全長32.4cm、身長14.7cm、柄長17.7cm
【品質・形状】柄は犀角で作られ、縁金具は銀製。柄頭にも銀装の飾金具を被せてあったとみられるが、現在はその留鋲のみを存する。鞘は亡失。

【台帳・管理ID】201-395
【指定番号】00106-03
【指定名称】玳瑁装牙櫛
【ふりがな】たいまいそうげのくし
【員数】1枚
【国】日本
【時代・年】平安時代
【寸法・重量】幅10.1cm、高6.0cm
【品質・形状】象牙製。蒲鉾型の駆使で、幅細長く、雄柱を太めに作る。峯および棟幅の部分両面に花文を表す。

【台帳・管理ID】201-396
【指定番号】00106-06
【指定名称】伯牙弾琴鏡
【ふりがな】はくがだんきんきょう
【員数】1面
【国】日本
【時代・年】平安時代
【寸法・重量】径14.5cm
【品質・形状】銅製八花形で、鈕は荷葉に乗る亀を表し、上部に雲、山、鳥を、下部に蓮池を描き、その間左右に鳳凰、竹林、人物などを図している。いわゆる伯牙弾琴の様を表した唐式鏡である。

【台帳・管理ID】201-397
【指定番号】00106-02
【指定名称】青白磁円硯
【ふりがな】せいはくじえんけん
【員数】1枚
【国】日本
【ト書】伝菅公遺品
【時代・年】平安時代
【寸法・重量】径27.0cm、高6.4cm
【品質・形状】中央がへこんだ円形の硯で、池を周囲に造り、二十本の脚を胴に付しているが、古くからその下部を欠失する。

【台帳・管理ID】201-398
【指定番号】00106-01
【指定名称】牙笏
【ふりがな】げしゃく
【員数】1条
【国】日本
【時代・年】平安時代
【寸法・重量】長36.4cm、幅5.7cm
【品質・形状】象牙製。頭部に丸みを付けた直頭の牙笏で、正倉院御物以外に類例がない。

【台帳・管理ID】201-399
【指定番号】00106-05
【指定名称】銀装革帯
【ふりがな】ぎんそうかくたい
【員数】1面
【国】日本
【時代・年】平安時代
【寸法・重量】巡方縦3.0cm弱、横6.0cm弱
【品質・形状】銅製鍍銀の鉸具・鉈尾および巡方十五個を着装した革帯で、鉸具を止める三カ所の孔にも猪目形の飾り金具を付している。

【種別】工芸品
【国宝指定日】1953.03.31
【説明】六種の遺物は中国唐から舶載したものと、本邦製作によるものとがあるが、いずれも中国、唐時代の様式を伝える遺例の少ないものである。これらは、菅原道真が薨じた後、氏寺である土師寺の住職であった姨覚寿尼に伝えた遺品といわれ、土師寺の後身である道明寺天満宮に伝えられた。

出典:国指定文化財等データベース一部抜粋
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