国宝『附法状』俊芿筆
附法(ふほう、付法とも)とは、仏教において師が弟子に教えを授けることで、この附法状は俊芿が亡くなる前の月に、弟子の「心海」に書き与えたもの。 俊芿は入宋時代に宋風の書を習得し、その書は現地中国でも評価が高かったといわれ、この附法状と『泉涌寺勧縁疏』が国宝に指定されている。
俊芿(しゅんじょう)と泉涌寺のこと
俊芿(しゅんじょう)は平安時代末期~鎌倉時代前期の僧で、戒律を守り修行に専念するが、堕落がみられた当時の日本の仏教界に満足せず宋時代の中国に渡り、十数年の滞在で戒律・禅・天台などを修め多くの典籍を持って帰国した。 源氏方の武将で平家討伐で功績をあげた宇都宮信房が、建保 6年(1218年)に荒廃していた仙遊寺を俊芿に寄進すると、俊芿は寺名を「泉涌寺」と改め、四宗兼学の道場とする。 歴代天皇や鎌倉幕府の有力者の帰依を受けて、後堀河天皇から勅願寺に定められ、俊芿没後の仁治3年(1242年)に四条天皇の葬儀を執り行い、以降皇室の菩提寺とされ「御寺(みてら)」と尊称される。
この国宝を観るには
京都国立博物館に寄託されており、同館の企画展や通常展で公開されることがあるが、機会はそれほど多くない。
公開履歴
2021/3/27~5/16 京都国立博物館「鑑真和上と戒律のあゆみ」
2016/12/13〜2017/2/5 京都国立博物館 名品ギャラリー
文化財指定データ
【台帳・管理ID】201-806
出典:国指定文化財等データベース一部抜粋
【指定番号】00032-00
【種別】古文書
【指定名称】附法状〈俊〓筆/嘉禄三年三月廿二日〉
【ふりがな】ふほうじょう
【員数】1幅
【国】日本
【時代・年】1277年
【所有者】泉涌寺
【国宝指定日】1952.11.22