額田寺 伽籃・条里図[国立歴史民俗博物館]

額田寺 伽籃・条里図[国立歴史民俗博物館]

額田寺(額安寺)のこと

奈良県大和郡山市の、佐保川と初瀬川(大和川)の合流点近くに、古代豪族「額田部氏」の氏寺「額安寺(かくあんじ)」があり、古くは額田寺とも呼ばれていた。 聖徳太子が、釈迦の祇園精舎を倣って建立した「熊凝精舎(くまごりしょうじゃ)」が元になったとする伝承もある。

平安~鎌倉時代にかけてやや衰退したようだが、真言律宗や西大寺を再興した『叡尊』やその弟子「忍性」によって再興された。 戦国時代には戦火にあって多くの伽藍を失い、残っていた五重塔は豊臣秀吉によって四天王寺に移され、かわって寺領が安堵された。 明治~昭和にはかなり荒廃するが、昭和後期から修復されて現在に至っている。

国宝『額田寺 伽籃・条里図』

麻布4枚を継いだ、縦113.7cm、横72.5cmの地に、額田寺の伽藍と寺領を描き、彩色がされている。 東大寺のような官寺や、興福寺のような大貴族の氏寺とは異なり、中級貴族の氏寺を知るうえで貴重な資料。 記入された人名などから、天平宝字年間(757~765年)頃ではないかと考えられている。

条里とは、碁盤の目のように整備された区画の、6町四方を1つの区画とし、南北方向は「条」、東西方向は「里」と数えたもので、1条1里は650mほど。 この図では、条里の線が引かれた上に、山河や丘陵など土地の様子と伽藍が描かれている。

文化財指定データ

【台帳・管理ID】201-778
【指定番号】00002-00
【種別】古文書
【指定名称】額田寺伽籃並条里図(麻布)
【ふりがな】かくでんじがらんならびにじょうりず
【員数】1鋪
【寸法・重量】縦(右端)140cm(左端)112cm、横(上端)67.7cm(下端)72.5cm、麻布4枚継
【所在地】国立歴史民俗博物館
【国宝指定日】1977.06.11
【説明】麻布四枚を横継ぎにして料紙とし、北を上に條里を示し、額田寺伽藍及び周辺の寺領を描いたものである。條里は大和国平群郡九條三里(一九~三六坪)・四里(一~一八坪)、十條三里(二一~三六坪)・四里(一~一六坪)を千鳥式坪並で現わし、中央下部に大安寺式伽藍配置になる額田寺の堂塔伽藍、諸門、雑舎等が朱墨を交えて比較的詳細に描かれる。寺領を示す境界の要所には結界石を示し、その他寺領の地目や面積などが注記され、本図が寺領絵図として描かれたことを明らかにしている。その製作年代は未詳であるが、墨書注記人名等からして天平宝字年間を程遠からぬ頃に作成されたものと考えられ、東大寺以外に伝来した現在唯一の麻布條里図として、大和国の條里を伝え、且つ額田寺の規模を具体的に示した伽藍図として極めて価値が高い。

出典:国指定文化財等データベース一部抜

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