国宝『島津家文書』
武家の島津家に伝わった文書類で、鎌倉幕府の御家人で島津家の家祖「島津忠久」時代のものから、薩摩藩主を経て明治維新に至るまで、約700年間にわたる文書類が一括で国宝に指定されている。 西南戦争や第二次世界大戦の戦火もくぐり抜け、戦後に東京大学に譲渡された。
内容は、書状・記録・宣旨・目録・系図など文書のほか、景色・風俗・人物を描いた絵図や地図など多岐にわたり、その数は15,133点に及ぶ。 特に重要な文書は手鑑(書をじゃばら状の台紙に貼ったもの)にされ、天皇や将軍をはじめ、時の有力者の書状が集められている。 附として、文書箱32合も国宝に指定されている。
この国宝を観るには
所蔵する東京大学史料編纂所には公開設備がなく、博物館の展覧会へ貸し出される場合などに観ることができる。
公開履歴
2024/12/6~2025/1/29 佐賀県立美術館「桃山三都」※展示期間未確認
2024/11/23~2025/1/26福岡市博物館「九州真宗の源流」
2024/10/19~12/1 都城島津伝承館「室町時代の文化と南九州」
2024/9/14~12/8 高知城歴史博物館「土佐和紙のちから」
2023/9/29~11/5 鹿児島県歴史・美術センター黎明館「南北朝の動乱と南九州の武士たち」
2023/3/25~5/7 岐阜市歴史博物館「加納藩~江戸幕府を支えた270年~」
2023/3/7~5/4 国立歴史民俗博物館「いにしえが、好きっ!」
2022/10/15~11/27 都城島津伝承館「都城喫茶ことはじめ」
2022/9/22~11/6 鹿児島県歴史・美術センター黎明館「茶の湯と薩摩」
2022/9/23~11/6 安城市歴史博物館「養生から健康へ」
2022/5/3~6/26 東京国立博物館「琉球」
2021/10/9~11/7 九州国立博物館特別展「海幸山幸」
2021/3/16~5/9 国立歴史民俗博物館「海の帝国琉球」
2020/10/6~12/13 高知県立坂本竜馬記念館「薩摩と土佐」
2020/10/8~11/3 岐阜市歴史博物館「麒麟がくる」
2020/9/18~11/8 佐賀県立名護屋城博物館「鬼島津が遺したもの」
2019/10/1~1/4 鹿児島県歴史・美術センター黎明館「戦国島津」
2019/7/19~8/11 熊本県立美術館「菊池一族の戦いと信仰」
文化財指定データ
【台帳・管理ID】201-10713
出典:国指定文化財等データベース一部抜粋
【指定番号】00059-00
【種別】古文書
【指定名称】島津家文書(一万五千百三十三通)
【ふりがな】しまづけもんじょ
【員数】848巻、752帖、2629冊、2幅、4908通、160鋪、207枚
【時代・年】平安~明治時代
【附指定】文書箱32合
【所有者】東京大学
【国宝指定日】2002.06.26
【説明】島津氏は、鎌倉時代に島津荘地頭となり、同時に薩摩・大隅・日向三国の守護をかね、その後戦国大名をへて、近世大名として存続した代表的な武家の家柄である。島津家文書はこの薩摩島津家に伝来した累代の古文書群の総称である。今回は未整理であった藩政文書、系図、絵図などを平成九年の重要文化財分に追加して、国宝に格上げしたものである。
追加分の中心は「白木箱【しらきばこ】」と呼ばれる文書箱一三合に収納され、記録所にて保存・管理された薩摩藩の行政文書である。文書の写・控がほとんどであり、箱ごとに目録が作成されている。例えば、御筆仰付御書付の包紙には、「右嘉永二年酉二月廿一日、石見とのより橋口今彦江被御渡、白木御文書拾番箱江納置候事」とみえ、白木箱は薩摩藩の現用文書で後日に保存すべき文書を逐次収める文書箱として活用されていたことが知られる。白木箱には年代順に番号が付されており、白木一番箱は正徳期からの文書が収められている。また、江戸詰家老と国元の家老との間で取り交わされた比志島範房問合御書付や種子島久基御書付など公用の書状の写が作成されている。藩の役人が藩当局からの諮問に答えたり、命令された業務の報告を行うために藩庁に差し出した文書である「横切書付【よこきりかきつけ】」などもみえる。
その他、歴代藩主の任官関係文書である口宣案、宣旨、位記は、綱貴以降丸十字家紋入漆塗箱に収められている。「御記録」「御家譜」とも呼ばれる島津氏歴代の系譜は、『新編島津氏世録正統系図』(一一四冊)、『続編島津氏正統系図』(五八七冊)が編纂され、伊集院氏をはじめとする支流の系譜『新編島津氏世録支流系図』(九六冊)もある。系譜編纂時の家譜編集心得書も残されている。国絵図作成関係文書である国絵図、領地目録、高辻帳は三十一番箱から三十五番箱に収められ、元禄、天保の幕府による国絵図作成に関する文書が中心である。弓矢、鉄砲などの兵法関係の故実書などは新長持に収められいる。そのうち、『稲留流砲術纂要図巻』は薩摩藩が御流儀として採用した稲留流砲術の要諦の数々を図示した解説付き図巻で、巻頭に天文十二年(一五四三)にポルトガル人が種子島に伝えた南蛮銃の鉄砲図を載せている。琉球関係では、中山王書状、中山王起請文などが残されている。中山王書状の封式には、琉球王と薩摩藩主との関係がみて取れ、起請文は提出された文箱に入れられた当時の姿を今に伝えている。
現在残されている島津家文書は、江戸時代の大名家が保存すべきものと考えて、実際に文書蔵に保存・管理してきた文書であり、武家の勃興から明治四年の廃藩置県までの七〇〇年に及ぶ武家文書を伝えている唯一の文書群である。内容は政治、外交、社会経済など多岐にわたるものであり、武家文書のもつあらゆる種類の文書を網羅し、質量ともに武家文書の白眉である。