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国宝-建築|園城寺(三井寺) 金堂[滋賀]

国宝DB-建築

三井寺のこと

通称の「三井寺(みいでら)」が有名だが、正式には「長等山園城寺(ながらさんおんじょうじ)」という天台宗「寺門宗」の総本山。 最澄が開いた日本の天台宗は、3代座主の円仁と、5代座主の円珍とで分かれ、比叡山に残った円仁は「山門派」、山を降り三井寺に入った円珍は「寺門派」となる。 以降、山門派と寺門派は対立関係になった期間が長い。

天智天皇の崩御後に、大友皇子(天智天皇の皇子)と弟の大海人皇子(天智天皇の弟で後の天武天皇)が 皇位を争った「壬申の乱」が起き、敗れた大友皇子の子である大友与多王が父の菩提を弔うために、寺を建立したことに始まる。 天武天皇から「園城」という勅額を賜ったため「園城寺(おんじょうじ)」と称するようになる。

「三井寺(みいでら)」の由来は、境内に天智・天武・持統の3天皇が産湯に使った井戸があったため「御井(みい)の寺」と呼ばれており、その後、円珍が三部潅頂の儀式に使用したことから「三井寺」となった。

園城寺(三井寺)滋賀県大津市

国宝『園城寺 金堂』

広大な三井寺は「北院(新羅善神堂エリア)」「中院」「南院(三尾神社や観音堂エリア)」に分かれており、三井寺の中心ともいえる「中院」の中心的な堂宇がこの「金堂」で、本尊の如意輪観音をまつっている。 この如意輪観音は天智天皇ゆかりのものだと伝わっている。

歴史の古い三井寺だが、延暦寺との抗争で焼失したり、秀吉の勘気に触れ寺領の没収や堂宇の移転にあったため、寺内の建造物は桃山~江戸時代のものが多い。 秀吉の亡くなる直前には再興を許されており、国宝の『金堂』は北政所によって再建されている。

檜皮葺き入母屋造りで、深い軒がやや反っている。 堂内は板敷きだが内陣だけは土間になっており、これは天台宗独特の様式である。 本尊を安置する厨子も「附」として国宝に指定されている。

園城寺(三井寺) 国宝『金堂』
園城寺(三井寺) 国宝『金堂』
園城寺(三井寺) 国宝『金堂』

この国宝を観るには

開門時間内ならいつでも拝観できる。 特別公開の企画が多く、内陣に入って参拝できる場合もある。

文化財指定データ

【台帳・管理ID】102-1333
【指定番号】00109
【種別】近世以前/寺院
【指定名称】園城寺金堂
【ふりがな】おんじょうじこんどう
【員数】1棟
【時代・年】桃山時代、慶長4年(1599年)
【構造・形式】桁行七間、梁間七間、一重、入母屋造、向拝三間、檜皮葺
【所在地】滋賀県大津市園城寺町
【国宝指定日】1953.03.31
【附指定】厨子1基 

出典:国指定文化財等データベース一部抜

鑑賞ログ

2019年4月

ちょうど石山寺との合同企画「あお若葉競演2019」の開催中で、内陣の中に入れて頂けました。 ¥500かかるのですが、内陣の入口には幕が引いてあり、1組ずつ案内して頂けます。 内陣は神聖な場所なので、入口で簡単な儀式で清めて頂けます。 御本尊は秘仏なので拝観出来ませんでしたが、観学院の御本尊と北院南院の本地仏が拝観できるほか曼荼羅などもあり、僧侶の方に説明もして頂けて大満足です。

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