スポンサーリンク

国宝-建築|彦根城(天守、附櫓、多聞櫓)[滋賀]

国宝DB-建築

彦根城のこと

彦根城は1604年に徳川家康の命によって築かれ、1602年に亡くなった徳川四天王の1人「井伊直政」の次男「井伊直孝」が、佐和山藩から改められ加増された「彦根藩」の藩主となり、幕末まで井伊家の居城となる。

琵琶湖の中心よりやや北寄りの東岸に位置しており、この辺りは古来より各街道を結び東西国を分ける要所であり、数多くの合戦がこの近くで起きている。 彦根城築城は大阪の陣の前であり、西方監視の意味も大きかったと思われる。

国宝『天守、附櫓、多聞櫓』

国宝に指定されているのは「天守」「附櫓」「多聞櫓」で、天守は大津城から移築されたもの。 江戸幕府の天下普請で多くの大名が築城に関わった。 外からは見えない「鉄砲狭間」「矢狭間」があり、武者隠しや急な階段など戦う為の城として作られているが、外観は「切妻破風」「入母屋破風」「唐破風」等が見られ変化に富んでいる。

明治期には解体の危機があったが、明治天皇の巡幸の折に城の保存を命じた為に往時のまま現在に残っている。 これは「大隈重信」が奉上した説と、天皇の従妹で福田寺の住持夫人だった「かね子」の奉上によるものという説がある。

彦根城 天守

この国宝を観るには

12/25~12/31を除き、年中無休で公開されているので、拝観時間の8:30~17:00(入場は30分前まで)は内部に入ることができる。

文化財指定データ

【台帳・管理ID】102-1393
【指定名称】彦根城天守
【よみかた】ひこねじょうてんしゅ
【員数】1棟
【時代・年】桃山時代  慶長11(1606年)
【構造・形式】三重三階、地下階段室・玄関付、本瓦葺

【台帳・管理ID】102-1394
【指定名称】附櫓及び多聞櫓
【よみかた】つけやぐらおよびたもんやぐら
【員数】1棟
【時代・年】桃山時代  慶長11(1606年)
【構造・形式】各一重櫓、本瓦葺

【指定番号】00045
【所有者】彦根市
【国宝指定日】1952.03.29
【解説】井伊直政が慶長八年(1603)に佐和山城より居城を移して以来の井伊家代々の居城。天守隅木の墨書や文書から少なくとも慶長十一年(1606)には完成していたと考えられる。壁、軒裏、破風を漆喰で塗り込め、金箔を押した飾り金具や黒漆を多用するなど華麗な意匠が特徴。

出典:国指定文化財等データベース一部抜粋
タイトルとURLをコピーしました