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国宝-建築|法隆寺 金堂[奈良]

国宝DB-建築

法隆寺のこと

法隆寺は、元は聖徳太子が営んだ「斑鳩宮」があった場所に、亡くなった父「用明天皇」のために寺を建立したことに始まる。 太子亡き後の天智9年(670年)には、火災により伽藍を全て焼失するが、ほどなく復興されたのが現在の「西院伽藍」で、世界最古の木造建築とし世界遺産にも登録されている。

国宝『金堂』

入母屋造りで軒が深く瓦葺きの二重(2階建て)の屋根を持ち、下層屋根の下には板葺きの裳階が付いている。 上層の屋根を支える竜の彫刻のある柱は、後世に補われたもの。 雲斗や雲肘木などが多く使われ、上層には中国風の高欄が付くなど、装飾性も高い。

西院伽藍の中でも最も古い建造物で、元は内壁に仏画が描かれていたが、昭和24年(1949年)の解体修理中に火災にあっている。 この火災をきっかけに、文化財保護法が制定されることになる。

西院の中心的な伽藍は、中門とその正面にある大講堂を回廊がぐるりと囲んでおり、中門と大講堂の間の右手に金堂が、左手には五重塔が位置している。 この形式は「法隆寺式伽藍」と呼ばれ、更に古い時代の塔が中心だった伽藍配置から、塔と金堂が並ぶように変化した頃のものである。

法隆寺の本尊で飛鳥時代に作られた国宝『釈迦三尊像』を中央に安置し、向かって右手には用明天皇の遺志を継いで作られた国宝『薬師如来像』が、左手には元の仏像が盗難にあった後の鎌倉時代に作られた「阿弥陀三尊像」が安置される。 この他、釈迦如来像の前には国宝『毘沙門天像・吉祥天像』が、四隅には国宝『四天王像』が安置されている。

国宝『法隆寺金堂』奈良県生駒郡斑鳩町
国宝『法隆寺金堂』奈良県生駒郡斑鳩町
国宝『法隆寺金堂』奈良県生駒郡斑鳩町
国宝『法隆寺金堂』奈良県生駒郡斑鳩町

この国宝を観るには

時間内は拝観可能で、金堂内部には国宝を含む仏像も安置されている。 拝観料は、金堂や五重塔のある西院伽藍、夢殿のある東院、国宝や重要文化財の仏像や寺宝が展示される大宝蔵院のセット券(一般¥1,500)なので、時間に余裕をみるとよい。

文化財指定データ

【台帳・管理ID】102-2681
【指定番号】00203
【種別】近世以前/寺院
【指定名称】法隆寺金堂
【ふりがな】ほうりゅうじこんどう
【員数】1棟
【時代・年】飛鳥時代(593~709年)
【構造・形式】桁行五間、梁間四間、二重、初重もこし付、入母屋造、本瓦葺、もこし板葺
【附指定】旧初重軸部(組物を含む)1棟
【所在地】奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内
【国宝指定日】1951.06.09
【説明】聖徳太子創立の伽藍が天智九年(六七〇)に焼失したあと、寺地を西北方に移して建立されたのが現在の西院伽藍である。中門・廻廊に囲まれたなかに、東に南面する金堂、西に五重塔が並んで建つ。
 金堂は、二重基壇上に建ち、ふくらみのある丸柱を立て、上に皿斗付の大斗をのせ、柱筋は肘木に雲斗をのせて通肘木を重ねる。軒先に出る雲斗雲肘木は流麗な曲線状の独特のもので、金堂では渦文を彫る。尾垂木先の雲肘木で出桁をうけ、軒は一軒で、反りのない角垂木を平行に配する。
 初重内部の柱も側柱と同じ高さで、上に三斗を組む。内部は土間で母屋に折上組入天井、周囲の庇は組入天井を張り、母屋一杯に土築の仏壇を構え、本尊釈迦三尊像以下を安置する。壁の内側には阿弥陀浄土などの壁画を画き、内陣小壁に飛天、天井板には蓮華文を画く。
 二重も雲斗雲肘木で屋根は勾配の強い入母屋造とし、大棟には本来鴟尾がのっていた。周囲に卍崩しの高欄をめぐらし、高欄の地覆を三斗と人字形割束でうける。裳階はやや遅れて取りつけられたもので、土台上に角柱を立て板屋根とする。世界最古の木造建造物で、全体の均衡もきわめてよい名建築である。
【引用文献】 『国宝大辞典(五)建造物』(講談社 一九八五年)

出典:国指定文化財等データベース一部抜
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