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国宝-建築|法隆寺 東大門[奈良]

国宝DB-建築

法隆寺のこと

法隆寺は、元は聖徳太子が営んだ「斑鳩宮」があった場所に、亡くなった父「用明天皇」のために寺を建立したことに始まる。 太子亡き後の天智9年(670年)には、火災により伽藍を全て焼失するが、ほどなく復興されたのが現在の「西院伽藍」で、世界最古の木造建築とし世界遺産にも登録されている。

法隆寺西院 国宝『金堂』

法隆寺の東院エリアは、聖徳太子の営んだ宮殿「斑鳩宮」の跡地にあたる。 聖徳太子が推古30年(622年)に49歳で亡くなり、子孫が蘇我氏によって滅びると宮一帯は荒廃するが、それを嘆いた行信僧都が聖徳太子の菩提を弔うために夢殿を建立した。 フィクションでは聖徳太子が夢殿に籠るような表現もあるが、没後100年以上後に建てられたものである。

法隆寺東院 国宝『夢殿』

国宝『東大門』

法隆寺の中心的な伽藍の「西院」から、聖徳太子の宮跡で夢殿などのある「東院」との間に建つ門で「中ノ門」とも呼ばれる。 奈良時代に建てられた東大門は、元は聖霊院の前にある鏡池の東にあり、平安時代頃には現在の場所に移転されたと考えられる。

3間(柱の間が3つ)の八脚門で、中央の1間は扉になっている。 屋根は「三棟造り(みつむねづくり)」で、現存する奈良時代の三棟造りは、この東大門と国宝『東大寺転害門』の2棟のみである。 三棟造りは屋根裏を張らず、桁行(正面から見て横の線)方向の中央柱の前後にそれぞれ棟があり、その平行に並んだ2つの棟を覆うように、屋根が乗せられている。

この国宝を観るには

法隆寺の有料拝観エリアは、いくつかの入場口に分かれており、それぞれでチケットを見せるようになっている。 東大門は、無料エリアにあるので、いつでも観ることができる。 西院と東院の間の築地塀の続く石畳にあり、小さい立札のみでほとんどの参拝客がただ通り過ぎてしまうので、見逃さないように。

法隆寺 西院と東院の間にある国宝『東大門』

文化財指定データ

【台帳・管理ID】102-2704
【指定番号】00095
【種別】近世以前/寺院
【指定名称】法隆寺東大門
【ふりがな】ほうりゅうじとうだいもん
【員数】1棟
【時代・年】奈良時代
【構造・形式】三間一戸八脚門、切妻造、本瓦葺
【所在地】奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内
【国宝指定日】1952.11.22

出典:国指定文化財等データベース一部抜粋
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