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国宝-建築|光浄院客殿[三井寺/滋賀]

国宝DB-建築

園城寺(三井寺)のこと

通称の「三井寺(みいでら)」が有名だが、正式には「長等山園城寺(ながらさんおんじょうじ)」という天台宗の一派「天台寺門宗」の総本山。 最澄が開いた日本の天台宗は、3代座主の円仁と、5代座主の円珍とで分かれ、比叡山に残った円仁は「山門派」、山を降り三井寺に入った円珍は「寺門派」となる。 以降、山門派と寺門派は対立関係にある期間が多くなる。

園城寺は、天智天皇の崩御後に、大友皇子(天智天皇の皇子)と弟の大海人皇子(天智天皇の弟で後の天武天皇)が 皇位を争った壬申の乱が起き、敗れた大友皇子の子である大友与多王が父の菩提を弔うために建立したことに始まる。 天武天皇から「園城」という勅額を賜ったため「園城寺」と称するようになる。

「三井寺(みいでら)」の由来は、境内に天智・天武・持統の3天皇が産湯に使った井戸があったため「御井(みい)の寺」と呼ばれており、その後、円珍が三部潅頂の儀式に使用したことから「三井寺」となった。

園城寺(三井寺) 国宝『金堂』

国宝『光浄院客殿』

金堂の北側に位置する「光浄院」は、豊臣秀吉に仕えた戦国武将「山岡景友(やまおかかげとも)」が道阿弥(どうあみ)と号して住持を務め、三井寺では格式の高い子院である。 国宝の客殿は、慶長6年(1601年)に山岡道阿弥によって建立され、桃山時代の書院造りを代表する遺構とされる。

客殿は寺院の迎賓館のように使われ、位の高い人物も迎えられるよう格式の高い書院造りで造られ、狩野山楽ら狩野派による障壁画は重要文化財に指定されている。 入母屋造りで柿葺の屋根は、東側の車寄せに唐破風が付いている。 内部は南北2列で構成され、南側には18畳と最も広い上座の間に次の間や車寄せが続き、北側は南より細かく区切られた4間となる。

この国宝を観るには

金堂の裏側にある道を抜けると小さい案内が出ているが、一般公開はされておらず、門の手前で立ち入り禁止となっているので、通常は外から屋根だけが覗ける。 

3名~40名で事前に予約すると、僧侶や職員の案内付きで見学することができる。 大人¥600、高校生以下¥400で、所要時間は20~30分ほど。
予約サイトはコチラ

文化財指定データ

【台帳・管理ID】102-1332
【指定番号】00078
【種別】近世以前/住宅
【指定名称】光浄院客殿
【ふりがな】こうじょういんきゃくでん
【員数】1棟
【時代・年】慶長6年(1601年)
【構造・形式】桁行七間、梁間六間、一重、入母屋造、妻入、正面軒唐破風付
中門 桁行一間、梁間一間、一重、切妻造
総こけら葺
【所在地】滋賀県大津市園城寺町
【国宝指定日】1952.11.22

出典:国指定文化財等データベース一部抜

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