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国宝-彫刻|阿弥陀如来・両脇侍立像(阿弥陀三尊像)[浄土寺/兵庫]

国宝DB-彫刻

浄土寺のこと

兵庫県、明石市や加古川市の北に位置する小野市にある「浄土寺」は、かつて東大寺の荘園「大部荘(おおべのしょう)」があった。 平安末期に平家の焼き討ちにあった東大寺は、「重源上人(ちょうげんしょうにん)」を勧進の責任者として、各地に拠点となる「別所」を設ける。 浄土寺もその1つで「播磨別所」と呼ばれ、国宝の快慶作『阿弥陀三尊像』や像を安置する本堂は、播磨別所の創建間もなく作られたもの。

浄土寺 国宝『浄土堂(阿弥陀堂)』兵庫県

国宝『阿弥陀如来・両脇侍立像』

東大寺を再興した重源上人は、慶派仏師に多くの造像を依頼しており、この三尊像も快慶作だと伝わる。 堂の中央に設えられた須弥壇上に安置される三尊は、中尊の阿弥陀如来は5.3m、脇侍の観音・勢至菩薩は3.7mと非常に大きく、重源が各地に丈六仏を作ったと記録に残るうちの1つだとされる。

台座にはたなびく雲が立体的に彫られ、阿弥陀三尊が亡くなる人を迎えに来る「来迎」の様子が表されている。 西を背に東を向いて安置される像は、夕方になると堂の西側(仏像の背面)の蔀戸から差す西陽が、床や天井に反射して浮かび上がるように見える。

浄土寺パンフレットより

浄土堂(阿弥陀堂)も国宝です

この阿弥陀三尊像が安置されている浄土堂も国宝に指定されています。 どちらも、鎌倉時代初期に浄土寺が建てられた頃に作られたものです。

この国宝を観るには

拝観寺院なので、9:00~17:00(10~3月は16時まで)には拝観できるが、12~13時は休止となる。 浄土堂は、西陽に包まれる阿弥陀三尊像が有名だが、拝観時間の関係で、実際に西陽の差した堂内を観ることは、非常に難しい。

アクセスは、小野市のコミュニティバス「らんらんバス」で、毎日運行され所要時間約30分の「北回り循環ルート」か、月水金土に運行され所要時間約15分の「中谷ルート」で、どちらも「浄土寺」バス停下車。 両路線とも、1日に2~4本しか運行されないので、バスで向かう場合は計画を立てた方が無難。

小野市コミュニティバス「浄土寺」下車すると浄土寺が見える

文化財指定データ

【台帳・管理ID】201-274
【指定番号】00110-00
【種別】彫刻
【指定名称】木造阿弥陀如来及両脇侍立像(浄土堂安置)
【ふりがな】もくぞうあみだにょらいおよびりょうきょうじりゅうぞう
【員数】3躯
【時代・年】鎌倉時代
【所有者】浄土寺
【国宝指定日】1964.05.26
【説明】中尊は五メートルをこえ、両脇侍【わきじ】も四メートルに近い巨像で、鎌倉初期の彫刻の中で最もすぐれたものの一つである。東大寺を再興した高僧重源【ちようげん】が、その一生の間に各地に丈六【じようろく】の仏像を残したことは、彼の造寺・造仏事業を記録した作善集【さぜんしゆう】によって知られるが、この三尊はその一つであり、しかも現在完全な姿で残っている唯一のものである。重源の造仏には仏師快慶が大きな役割りを果たしており、この三尊にも快慶の作風にきわめて近いものがみとめられる。宋風の様式をとり入れ、しかも一種の絵画的な趣致を表現しているところには、重源その人の好尚もうかがわれて興味深い。

出典:国指定文化財等データベース一部抜粋

鑑賞ログ

2019年8月

以前から来たかった浄土寺にやっと来られました。 日に数本のコミュニティバスには年配の方々がギュウギュウで、地元の方の足といった雰囲気なので、観光客はちょっと気が引けます。すいません。 

広い堂の内部は潔いほど何もなく、中央の須弥壇に巨大な阿弥陀三尊がおられます。 入堂すると像の正面を勧められて、録音テープによる解説が始まります。 一般的に、寺院で仏像を観る時は、厨子の中だったり内陣におられたりで、正面から拝観することが多いです。 こちらは、円形の須弥壇のまわりにかなりの空間があるので、周囲を自由に歩き回ることができます。 見上げるような大きさなので、堂の壁際の方が像はよく観えますが、近づくと台座の雲のたなびく様子など非常に見応えがあります。

この日は平日だったので参拝客が非常に少なく、受付の女性からも少しお話を聞くことができました。 お堂の中に15~20分ほどはいましたが、その大半は受付の方と私の2人きりだったので、仏像より人間の方が少ないというありがたい状況です。 車がないと行くのが大変な場所ですが、ここは価値があると思います。 願わくば、特別公開などでもいいので、夕方の拝観時間を少し延ばして、西陽に包まれる阿弥陀様を観てみたいです。

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