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国宝-工芸|梵鐘[神護寺/京都]

国宝DB-工芸

神護寺のこと

平安京の造営に尽力した和気清麻呂(わけのきよまろ)によって奈良時代末期に創建された「高尾山寺」と、同じく清麻呂が河内地方に建てた「神願寺」と合併して「神護寺」となる。 唐への留学から戻った空海は、十数年ほど神護寺に住し、最澄らへ灌頂(密教の儀式)を行うなど、平安初期の仏教の中心地となる。 平安後期には一時衰退するが、鎌倉時代に文覚上人によって再興され、現在は高野山真言宗の「遺跡本山(ゆいせきほんざん)」とされる。

国宝『梵鐘』

貞観17年(875年)の銘が入る梵鐘で、日本三名鐘の1つに数えられ、特に「銘の神護寺」といわれる。 この梵鐘は、橘広相が詞書を書き、菅原是善(道真の父)が銘を選び、藤原敏行が揮毫と、当時一流の3名の合作で「三絶の鐘」とも呼ばれる。 現在の鐘楼は、応仁の乱で焼失した後に再建されたもの。

神護寺の鐘楼 中の梵鐘が国宝
神護寺の鐘楼 中の梵鐘が国宝 

この国宝を観るには

現在も鐘楼に吊られているが、鐘が撞かれることも一般に公開されることもない。 

文化財指定データ

【台帳・管理ID】201-337
【指定番号】00050-00
【種別】工芸品
【指定名称】梵鐘
【ふりがな】ぼんしょう
【員数】1口
【時代・年】貞観17年(875年)
【寸法・重量】高147.6cm、口径80.3cm
【品質・形状】竜頭が比較的大形で丈高く、写実味を帯び、二条の紐をもって圏線を現した笠形は著しく膨隆しちえる。胴の縦横の紐は幅広で低く、上帯下帯は無紋で、縦帯と共に広めにつくる。
【ト書】貞観十七年八月二十三日冶工志我部海継以銅千五百斤令鋳成、橘広相之詞、菅原是善銘、藤原敏行書在銘
【画賛・銘等】池の間四区に陽鋳銘がある。
【所在地】神護寺
【国宝指定日】1952.03.29
【説明】総体に形姿が優れ、前代の様式を継承しつつも、部分的に竜頭、笠形、乳、駒の爪などには後代の梵鐘の先駆ともみられるものを胚胎している。銘文には、寺銘、発願者、壇越、紀年、冶工、詞および銘の選者、筆者、重量などを記し、鐘銘鋳稀に見るものである。冶工の志我部海継は、遺品にその名が記される鋳師の最初の確実な例である。
本鐘は、「三絶の鐘」と称して名高いものである。三絶とは、則ち銘文序を橘広相、菅原是善の選、藤原敏行の書という、当代一流の名家の手になることによる。

出典:国指定文化財等データベース一部抜粋
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