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国宝-考古|石幢[普濟寺/東京]

国宝DB-考古・歴史資料

普濟寺のこと

東京都立川市にある「普濟寺(普済寺)」は、平安時代からこの地を支配した立川氏(立河氏)が、建長寺の僧「物外可什」を招いて開山とし、文和2年(1353年)に建立した。 立川氏の盛衰によって寺運が衰えた時期もあるが、江戸時代には徳川家康から20石の寄進を受け、以降少しずつ伽藍が再興されていく。 平成7年には放火にあい、本堂や庫裏、書院などの建造物や、重要文化財の仏像などを焼失するが、10年をかけて再建された。

東京都立川市「普濟寺」

国宝『石幢』

石幢(せきどう)は石塔の一種で、六角や八角の角柱に、笠や宝珠を乗せたもの。 幢は元は旗章で、インドでは仏殿などの前に石造の幢を置いたのが、中国を経て日本に伝わり、鎌倉~室町時代に多く作られた。

普濟寺の石幢は、緑泥片岩に四天王4体と仁王2体を1体ずつ彫像し、六角に組んだ上に石の笠を乗せている。 「延文六年辛丑七月六日施財性了立道円刻」と銘が入り、延文6年(1361年)に、開山の物外可什の弟子「性了」によって建立されたことが分かる。

本堂の裏側にある中庭にガラス窓の覆屋で覆われており、一般でも見学が可能だったが、新収蔵施設へ移設されるため令和2年9月から拝観中止となる。

国宝『石幢』普濟寺/東京
国宝『石幢』普濟寺/東京
国宝『石幢』普濟寺/東京
国宝『石幢』普濟寺/東京

この国宝を観るには

本堂の奥にある中庭に面しているが、事務所の右奥の通路から墓地との間の道を回り込むと、覆屋が見える。 庭には柵がめぐらされているが、隅にある覆屋は柵の外なので開門時間内なら拝観することができる。

新収蔵庫へ移設されるため、令和2年(2020年)9/7~令和6年(2024年)3月頃まで拝観中止となる。

立川市普濟寺の国宝『石幢』は中庭の覆屋に安置されている
普濟寺本堂の右手にある寺務所をぐるりと回りこむと石幢がある

文化財指定データ

【台帳・管理ID】201-846
【指定番号】00014-00
【種別】考古資料
【指定名称】石幢
【ふりがな】せきどう
【員数】1基
【時代・年】1361年
【ト書】延文六年七月在銘
【所有者】普濟寺
【国宝指定日】1953.11.14

出典:国指定文化財等データベース一部抜粋
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