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国宝-彫刻|大日如来・不動降三世明王坐像[金剛寺/大阪]

国宝DB-彫刻

天野山金剛寺のこと

大阪南部の河内長野市にある真言宗の寺院で、聖武天皇の命で行基が開き、空海も修行をした。 一時は荒廃するが、後白河法皇と妹の八条女院の庇護を受け、伽藍が再興される。 八条女院の侍女が入寺し、高野山から伝わった弘法大師像を女性でも参拝できたことなどから「女人高野」と呼ばれた。

南北朝時代には、後醍醐天皇との結びつきが強く南朝方の拠点となり、仮の皇居である「行宮(あんぐう)」となったこともある。 その後は、天野酒など寺領からの産出品で潤い、織田信長や豊臣家の庇護も受けて、大伽藍が整った。 以降は火災にもあわず、多くの文化財が伝えられる。

国宝『大日如来・不動降三世明王坐像』

平安時代末期に阿観上人が金剛寺を再興し、治承2年(1178年)には金堂が建立され、中尊の大日如来はそれと遠くない時期に作られたと考えられる。 脇侍の不動明王と降三世明王は、中尊から50年ほど後の天福2年(1234年)に完成し、不動明王胎内の墨書から制作年や快慶の弟子の「行快」の作だと判明した。

仏像としては珍しい、不動・降三世明王を従える大日如来は、滅罪や増益の修法である尊勝法の本尊とされる「尊勝曼荼羅」を立体化したもの。 脇侍と同時期に追補された中尊の光背には、金剛界の37尊がみられる。

3mを超える大日如来は、木造に金箔を施した定朝様の穏やかな姿で、金剛界の大日如来と同じ智拳印を結ぶ。 脇侍は2m強で、不動・降三世とも肌を黒く塗られ火炎光背を背負い、2躯ともが不動明王によく用いられる台座の「瑟瑟座(しつしつざ)」に座る。 多面多臂で表されることが多い降三世明王だが、この像は一面二臂で、頭上に宝冠を戴くのも珍しい。

国宝『大日如来・不動降三世明王坐像』金剛寺パンフレットより
国宝『大日如来坐像』金剛寺パンフレットより
国宝『不動明王坐像』金剛寺パンフレットより
国宝『降三世明王坐像』金剛寺パンフレットより

この国宝を観るには

かつては、京都と奈良の国立博物館に分かれて寄託されていたが、10年近い年月をかけて金堂の修理が完了し、平成30年(2018年)からは3躯とも金堂に安置される。 通常は秘仏とされ拝観できないが、春と秋に数日ずつ特別拝観がある。 金剛寺が所蔵する国宝『日月四季山水図屏風』の特別公開が、同じ時期になることもある。

金剛寺 金堂[大阪府河内長野市]

文化財指定データ

【台帳・管理ID】201-3789
【指定番号】00135-00
【種別】彫刻
【指定名称】木造大日如来坐像/木造不動降三世明王坐像/(金堂安置)
【ふりがな】もくぞうだいにちにょらいざぞう/もくぞうふどうごうざんぜみょうおうざぞう/(こんどうあんち)
【員数】1躯/2躯
【時代・年】平安/鎌倉
【作者】行快(不動降三世明王)
【ト書】(不動降三世明王)不動明王像内に天福二年、大仏師法眼行快等の銘がある
【附指定】木造天蓋(大日如来像所用)1面
【所有者】金剛寺
【国宝指定日】2017.09.15
【説明】真言僧阿観が八条女院の帰依を得て建立した河内金剛寺の本尊で、巨大な大日如来を中尊とする三尊像。中尊は1180年前後の作とみられ院政期らしい繊細な作風を示す。左右の不動・降三世明王は不動の像内銘により仏師快慶の弟子、行快の作と判明した。

出典:国指定文化財等データベース一部抜粋
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