国宝-絵画|慧可断臂図(雪舟筆)[斉年寺/愛知]

国宝データ-絵画

雪舟等楊のこと

室町時代に京都の相国寺で修行した禅僧で、水墨画を学び画僧となる。 大名の大内氏について周防国(現在の山口県)に移り、明へ2年間の留学をする。 帰国後は現在の中国地方~九州で活躍し、絵のほかに作庭なども手掛けた。 作品も比較的多く残っており、6点が国宝に指定され、これは画家の中では点数が一番多い。

国宝『慧可断臂図』

慧可断臂図(えかだんぴず)は、中国南北朝時代の禅僧「慧可(えか)」が、達磨に入門を願うが聞き入れられず、自分の左腕(臂=ひじ)を切り取って、決意を伝え入門が許されたという故事を描いたもの。 中国の禅宗では、達磨を開祖、慧可を二祖とする。

斉年寺は、応仁の乱後に大野城主となった佐治宗貞が開いた寺で、佐治家の菩提寺となった。 この絵は、宗貞の子の為貞が、父の菩提を弔うために、斉年寺に奉納したと伝わる。 岩壁に向かって座禅を続ける達磨を右奥に、左手前に断った左腕を手に持つ慧可を配している。 線の太さや墨の濃淡を使い分け、衣服はおおらかに力強く、表情や背景は繊細に描き分けている。

この国宝を観るには

現物は京都国立博物館に寄託されており、展覧会への出展の他、常設展で展示される場合もある。

愛知県常滑市の「斉年寺」本堂内では、複製を拝観することができる。

公開履歴

2021/2/10~3/14 岡山県立美術館「雪舟と玉堂―ふたりの里帰り
2018/12/18~2019/1/27 京都国立博物館「禅宗の人物画」
2016/11/8~11/27 東京国立博物館「禅―心をかたちに-」
2016/5/3~5/22 京都国立博物館「禅―心をかたちに-」
2015/4/14~5/10 京都国立博物館「禅宗の人物画」

文化財指定データ

【台帳・管理ID】201-10660
【指定番号】00156-00
【種別】絵画
【指定名称】紙本墨画淡彩慧可断臂図〈雪舟筆/七十七歳の款記がある〉
【ふりがな】しほんぼくがたんさいえかだんぴず〈せっしゅうひつ/ななじゅうななさいのかんきがある〉
【員数】1幅
【時代・年】明応5年(1496年)
【作者】雪舟
【所有者】斉年寺
【国宝指定日】2004.06.08
【説明】雪舟(一四二〇?一五〇二/六)は日本絵画史上に傑出した画家であり、紙本墨画山水図(破墨山水図)、紙本墨画秋冬山水図(以上、東京国立博物館)、紙本墨画淡彩天橋立図(京都国立博物館)、紙本墨画淡彩山水図(京都・大原謙一郎)、紙本墨画淡彩四季山水図(山水長巻)(山口・毛利報公会)の五点が国宝に指定されている。これらはすべて山水図である。重要文化財指定は一九点に及び、その半数もまた山水図である。雪舟は山水画家として最も評価されてきたといえよう。
 雪舟の人物図の指定品は山水図に比べればはるかに少ないが、雪舟の人物図は決して山水図に劣るものではなく、益田兼堯像は日本の肖像画のなかでも最も迫真的な作品の一つである。
 本図は明治三十七年に指定されたもので、天文元年(一五三二)に佐治為貞によって斉年寺に寄贈されたことが、別途保存された〓背の上巻絹とみられる絹地墨書銘によってわかる。
 本図は雪舟筆の人物画のなかでも非常に大きく、わが国の禅宗祖師図としても、類例の少ない大作である。画幅全体の大きさもさりながら、貼り継がれた料紙一紙分の寸法が最大で縦一〇二センチメートル、横四六センチメートルという大きさであることは注目される。山水長巻の料紙が縦四〇センチメートル、一紙の長さが一〇六センチメートルの竹紙であるのに匹敵する大きさであり、輸入品であった可能性が高い。とすれば、大内氏のように大陸との貿易により豊富に唐物を将来していた勢力と関連する制作と考えるのが妥当であろう。料紙の大きさに加えて、本図の表現は描き込みも多く、どこか息詰まるような重苦しささえ漂わせ、雪舟渾身の作とみられることからも、権力者からの注文制作という事情が考え得る。
 画面は崇山の岩窟に入って面壁九年の座禅を組む達磨と、教えを乞う中国僧すなわち後の慧可との緊迫した場面を描いている。達磨と慧可の体躯は比較的肥痩のない墨線で輪郭をとっているが、顔貌表現は対照的に緻密で、淡彩を賦して墨線に隈を施し、達磨の剛胆な風貌を表す。
 本図を類稀な作品にしているのは、ふたりの人物を囲む岩の描写である。岩は画面右端の天地いっぱいに畳みかけるように重なり、画面上方で中央へと張り出して重々しく垂下する。これを支えるように画面左端から岩盤が右へ傾斜し、重なりながら奥へと後退していく。岩窟の奥は岩穴の向こうに暗く暗示される。ふたりの人物を囲む岩は、秋冬山水図のうち冬景の人物にのしかかるような懸崖、あるいは山水長巻の水景に臨む岩山で高士が語り合う洞穴の岩の一部が近接拡大して描かれたかのようである。
 雪舟の構築的な山水図に由来する岩の表現力は、岩窟の一隅にすぎない狭い空間に自然の圧倒的な大きさと厳しさを感じさせ、岩組の中心に坐す達磨の横顔にその力が凝集することにより、達磨と慧可との激しい精神の交流を増幅しているともいえる。
 このように雪舟の重厚な岩の表現が、禅僧にとっての厳粛な主題と絶妙な調子で共鳴し合うところに、他の道釈画に例をみない迫力ある作品が生み出されたといえよう。
 画面左端に書された款記印章については、制作年を確定する唯一の史料であるだけに慎重に検討されねばならないが、文明十八年(一四八六)の山水長巻巻末の款記、明応四年(一四九五)の破墨山水図の賛等と書風を比べて別筆と断定し得る、明らかな相違を指摘するのは難しい。二顆の印記については、本図以外にみられないといわれてきたが、「等楊」印の例が近年数点報告されている。殊に、印影うすく比較が困難なものの、本図と酷似する印記が山口・瑠璃光寺の全岩東純像に見出され、同頂相には本図と同じ明応五年(一四九六)の着賛の年記がある。
 本図の印記のみならず、雪舟の落款全体が包括的に検討されるべき問題がまだ残されていることは事実である。
 総じて、雪舟以外に本図を描きうる画家は存在しないという点は異論のないところであろう。人に対峙する自然の冷厳さと、ふたりの禅僧の精神の交流の激しさを簡略な形のなかに描き出し、それらを響き合わせることに成功した稀有な作例といえる。
【款記印章】
「四明天童第一座雪舟行年七十七歳謹図之」
 (朱文鼎印)「雪舟」 (朱文方印)「等楊」

出典:国指定文化財等データベース一部抜粋
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