王羲之とは
王羲之(303~361または307~365)は、中国・東晋時代の書家で、名門の家に生まれ政治家としても昇進するが、中央での出世を好まず地方長官になり、晩年は隠遁生活を送った。 楷書・行書・草書を芸術的に完成させ、それ以降の書に大きな影響を与え、書聖と呼ばれる。
唐の太宗皇帝は王羲之の書を好み、蒐集するだけでなく、薄紙を置き細い線で縁取りし中を塗る「双鉤塡墨」での搨模や、石碑の拓本、手本を真似て書く臨書を作らせた。 太宗は、王羲之の最高傑作とされる「蘭亭序」を自身の陵墓に副葬させ、それ以降も戦乱などで王羲之の真筆は全て失われたと考えられている。
国宝『喪乱帖(原跡王羲之)』
王義之の書簡を、唐時代の中国で双鉤塡墨の技法で写した模本で、遣唐使によって奈良時代の日本にもたらされた。 聖武天皇の崩御後に、菩提を弔うために光明皇太后らが遺愛の品を東大寺に納めた記録の東大寺献物帳に記された「王羲之書法廿巻」の一部だと考えられる。 桓武天皇が鑑賞または所有した印の「延暦勅定」が捺されており、東大寺から流出した後は後水尾天皇と後西天皇を経て妙法院門跡の所有となり、明治時代に皇室に献上されている。 「喪乱の極」で始まるので喪乱帖と呼ばれており、内容は北方民族によって先祖の墓が荒らされた事を嘆いている。
公開履歴
2023/11/7~11/26 石川県立美術館「皇居三の丸尚蔵館名品展」
文化財指定データ
【台帳・管理ID】201-12012
出典:国指定文化財等データベース一部抜粋
【指定番号】282
【種別】書跡・典籍
【指定名称】喪乱帖〈原跡王羲之/〉
【ふりがな】そうらんじょう
【国】中国
【時代・年】唐時代
【寸法・重量】縦26.2cm、横58.9cm
【所在地】皇居三の丸尚蔵館
【所有者】国(文化庁保管)
【国宝指定日】2023.06.27
【解説】東晋の書聖、王羲之(三〇三?~三六一?)の書簡を唐代に双鉤塡墨の技法で写した模本である。内容は、戦乱により先祖の墓が荒らされた深い悲しみを記す。一行目に「喪乱」の字が見えることから「喪乱帖」と名付けられている。「帖」とは法帖、習字の手本のことである。王羲之の真筆は現存せず、双鉤塡墨による唐代の精巧な模本が日本に四点、中国に四点、米国に一点、計九点が現存するのみであり、古来珍重されている。 日本には奈良時代に遣唐使によってもたらされ、聖武天皇遺愛品として東大寺に献納、また「延暦勅定」の朱印が捺されていることから、桓武天皇の御覧に供したことが知られる。のち東大寺から流出、後水尾天皇から後西天皇を経て、妙法院堯恕法親王に与えられた。明治十三年(一八八〇)、妙法院から皇室に献上されている。 喪乱帖は、現存する王羲之書の精巧な模本九点のなかでも、もとの書簡を書いた年代が永和十二年(三五六)と確かであること、文章としてまとまった内容であること、模写の技法が優れていることなどにより、第一級品とされ、書道史上たいへん貴重である。