円覚寺と無学祖元
無学祖元は、鎌倉時代に北条時宗の招きにより宋(中国)から渡来した禅僧で、それより先に渡来し建長寺の開山となった「蘭渓道隆」が遷化(亡くなること)すると、建長寺の住持に迎えられる。 穏やかで多くの鎌倉武士の帰依を受ける。
円覚寺は、鎌倉幕府の執権だった北条時宗が、元寇の戦没者を敵味方の区別なく弔うために発願し、深く帰依していた無学祖元を開山に迎えている。 鎌倉五山の二位とされ、現在でも多くの塔頭を抱えている。
国宝『舎利殿』
円覚寺の奥まった場所にある塔頭「正続院(しょうぞくいん)」にあり、通常は非公開。 源実朝が中国から招来した仏舎利は「佛牙舎利(ぶつげしゃり)」と呼ばれる釈迦の歯だと伝わるもので、内部には仏舎利を納める厨子がある。
内部は床を張らない土間で、反りのある軒先や花頭窓など、禅宗と共に日本に伝わった建築様式「禅宗様」の特徴が随所にみられる。 屋根が2層になっているが内部は1階建てで、下の屋根は装飾と風雨よけを兼ねた「裳階(もこし)」と呼ばれるもの。 神奈川県では唯一の国宝建築物である。
この国宝を観るには
通常非公開だが、11/3前後の数日と正月3が日は近くで観ることができる。 秋の公開時には、方丈で寺宝が公開される「宝物風入」も開かれる。
他にもGWや特別公開イベントが開かれる場合もある。
円覚寺の国宝
文化財指定データ
【台帳・管理ID】102-603
出典:国指定文化財等データベース一部抜粋
【指定番号】00002
【指定】近世以前/寺院
【指定名称 】円覚寺舎利殿
【ふりがな 】えんがくじしゃりでん
【員数】1棟
【時代・年】日本・室町時代(1393-1466年)
【構造・形式】桁行三間、梁間三間、一重もこし付、入母屋造、こけら葺
【所在地】神奈川県鎌倉市山ノ内
【国宝指定日】1951.06.09
【説明】円覚寺は、弘安5年(1282)に北条時宗によって創建された寺で、舎利殿は室町時代中頃に建立された物と考えられている。禅宗とともに伝来した宋の建築様式・唐様を採用した仏堂として日本最古のものであり、かつ最も純粋な姿を示すものである。