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国宝-建築|姫路城(大天守・小天守・渡櫓)[兵庫]

国宝DB-建築

国宝『姫路城』

この地に最初に城が築かれたのは、南北朝時代に赤松氏によるもので、戦国時代には豊臣秀吉が拠点として整備する。 関ヶ原の戦い後の慶長5年(1600年)に池田輝政が城主となり、それから9年ほどで現在の形になる。 その後は、本多・松平・榊原と、親藩や譜代大名が封ぜられ、江戸時代中期に酒井家が城主になると、そのまま幕末を迎える。

国宝に指定されるのは天守群で、大天守と3つの小天守を四角に配置し、それを4つの渡櫓(天守を結ぶ通路)で結び「ロの字型」になっている。 千鳥破風や唐破風を組み合わせ、全体は白漆喰で塗られており、その優美な姿は「白鷺城(しらさぎじょう・はくろじょう)」と呼ばれ、日本三名城にも数えられる。

幕末や第二次世界大戦で、わずかに砲火を浴びたことはあるが、大規模な戦いは一度も起きていない。 お菊さんが皿を数える「播州皿屋敷」や、泉鏡花の「天守物語」のモデルになった刑部姫伝説など、多くの物語の舞台になっている。 

姫路城 模型

国宝指定の棟

大天守(地上6階、地下1階)
乾小天守(地上4階、地下1階)
東小天守(地上3階、地下1階)
西小天守(地上3階、地下2階)
各天守の渡櫓4件(イ・ロ・ハ・ニ)

この国宝を観るには

国宝に指定された棟の中で、最上階まで登れるのは「大天守」のみで、東小天守・乾小天守・イロハの渡櫓を通過する見学ルート。 毎年2月頃に特別公開として、非公開エリアが公開されるが、年により公開場所は異なる。

年末の数日間以外は見学可能で、城内はかなり広いため、受付終了は閉門の1時間前に設定されている。 徒歩15分ほどの姫路駅からも、その姿を観ることができる。

文化財指定データ

【台帳・管理ID】102-2264
【指定番号】00011
【指定名称】姫路城大天守
【ふりがな】ひめじじょうだいてんしゅ
【員数】1棟
【時代・年】慶長13年(1608年)
【構造・形式】五重六階、地下一階付、本瓦葺

【台帳・管理ID】102-2265
【指定番号】00012
【指定名称】姫路城西小天守
【ふりがな】ひめじじょうにしこてんしゅ
【員数】1棟
【時代・年】慶長14年(1609年)
【構造・形式】三重三階、地下二階付、本瓦葺

【台帳・管理ID】102-2266
【指定番号】00013
【指定名称】姫路城乾小天守
【ふりがな】ひめじじょういぬいこてんしゅ
【員数】1棟
【時代・年】慶長14年(1609年)
【構造・形式】三重四階、地下一階付、本瓦葺

【台帳・管理ID】102 2267
【指定番号】00014
【指定名称】姫路城東小天守
【ふりがな】ひめじじょういぬいこてんしゅ
【員数】1棟
【時代・年】慶長14年(1609年)
【構造・形式】三重三階、地下一階付、本瓦葺

【台帳・管理ID】102-2268~2271
【指定番号】00015
【指定名称】姫路城イ、ロ、ハ、ニの渡櫓
【ふりがな】ひめじじょうい、ろ、は、にのわたりやぐら
【員数】各1棟
【時代・年】慶長14年(1609年)
【構造・形式】イ・ロ・ハ:二重二階、地下一階付、本瓦葺  ニ:二重櫓門、本瓦葺

【種別】近世以前/城郭
【所在地】兵庫県姫路市本町
【国宝指定日】1951.06.09
【説明】姫山に設けられた赤松氏の居城にはじまると伝え,その後豊臣秀吉の中国攻めの拠点となり,次いで慶長五年(1600)に関ヶ原の戦いの功により城主となった池田輝政により増築を含む根本的な整備が行われ,慶長十四年末には概ね完成したと考えられる。大天守は外観五重,内部七階で,三基の小天守と渡櫓で繋がれて連立天守郭を構成する。我国の城郭建築最盛期を代表するものとして重要であり,白漆喰塗りの城壁の美しさから白鷺城の名で呼ばれている。

出典:国指定文化財等データベース一部抜粋
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