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国宝-建築|法隆寺 東院伝法堂[奈良]

国宝DB-建築

法隆寺「東院」のこと

法隆寺の東院エリアは、聖徳太子の営んだ宮殿「斑鳩宮」の跡地にあたる。 聖徳太子が推古30年(622年)に49歳で亡くなり、子孫が蘇我氏によって滅びると宮一帯は荒廃するが、それを嘆いた行信僧都が聖徳太子の菩提を弔うために『夢殿』を建立した。 フィクションでは聖徳太子が夢殿に籠るような表現もあるが、没後100年以上後に建てられたものである。

国宝『東院伝法堂』

伝法堂は、法隆寺東院の夢殿を囲む廻廊の北側に隣接しており、本来の入口である南門から見ると夢殿の奥に位置し、東院の講堂にあたる。 記録によると「橘夫人」の住宅を仏堂に改めたもので、橘夫人は光明皇后の母の橘三千代という伝承があったが、聖武天皇の夫人の1人「橘古那可智」とする説が強い。

平入りの切妻屋根で、正面7間(柱の間が7つ)奥行4間で、この時代の建造物には珍しく床が板張りになっている。 屋根は本瓦葺きだが、元は檜皮葺きだったのを、仏堂に改装した時に瓦葺きに変更されたもの。 天井は板を張らずに垂木を見せる化粧屋根裏。 内部には、子安地蔵など多くの仏像を安置しているが、一般には公開されていない。

法隆寺 国宝『東院伝法堂』
法隆寺 国宝『東院伝法堂』
法隆寺 国宝『東院伝法堂』

この国宝を観るには

伝法堂の内部は公開されておらず、有料エリア外なので外観は無料で観ることができる。 7/24の夕方には「東院地蔵会」が行われ、中には入れないが、開扉された内部を拝観することができる。

文化財指定データ

【台帳・管理ID】102-2697
【指定番号】00029
【種別】近世以前/寺院
【指定名称】法隆寺東院伝法堂
【ふりがな】ほうりゅうじとういんでんぽうどう
【員数】1棟
【時代・年】奈良時代
【構造・形式】桁行七間、梁間四間、一重、切妻造、本瓦葺
【附指定】棟札1枚
【所在地】奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内
【国宝指定日】1951.06.09

出典:国指定文化財等データベース一部抜粋
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