吉備津神社のこと
主祭神は、第7代孝霊天皇の皇子「吉備津彦命(きびつひこのみこと)」で、山陽道の将軍として朝廷に従わない「温羅(うら)」を退治し、これが桃太郎の鬼退治伝説の元になったといわれる。 吉備津神社の成立について詳しいことはわかっていないが、平安時代初期の歴史書「続日本後紀」には社名がみられる。
元は吉備国の総鎮守で、国が備前・備中・備後にわかれると備中国の一の宮として尊崇を集めた。 国宝に指定された本殿・拝殿から、温羅の首を埋葬したと伝わる御釜殿や摂社末社を、400mもの長い回廊で結んでいる。 御釜殿では古くから、釜の鳴動で吉凶を占う神事が行われ、江戸時代に著された怪奇短編を集めた「雨月物語」にも書かれている。
国宝『本殿・拝殿』
現在の社殿は、応永32年(1425年)に室町幕府第3代将軍の足利義満によって再建されたもので、完成までに25年以上が費やされた。
本殿は妻が2つ並ぶ「比翼入母屋造」で、桁行(横幅)は正面が5間(柱の間が5つ)だが背面は7間で、梁間(奥行)は8間と大型の社殿である。 平入りの本殿正面に、桁行3間、梁間1間の拝殿が接続し、拝殿の正面は切妻造の妻入りになっている。 比翼入母屋造りは「吉備津造」とも呼ばれる。 本殿内部は、外側から中心に向かって外陣・朱の壇・中陣・内陣・内々陣となっており、朱や丹で鮮やかな色に塗られ、仏教建築の影響がみられる。
この国宝を観るには
開門時間(5~18時)の間は拝殿の前から参拝可能。 毎月1日AM6時からの「おついたち参り」では昇殿参拝ができる。
文化財指定データ
【台帳・管理ID】102-2993
出典:国指定文化財等データベース一部抜粋
【指定番号】00074
【種別】近世以前/神社
【指定名称】吉備津神社本殿及び拝殿
【ふりがな】きびつじんじゃほんでんおよびはいでん
【員数】1棟
【時代・年】応永32年(1425年)
【構造・形式】本殿 桁行正面五間、背面七間、梁間八間、一重、比翼入母屋造、檜皮葺
拜殿 桁行三間、梁間一間、一重、正面切妻造、背面本殿屋根に接続、檜皮葺
【附指定】棟札
【所在地】岡山県岡山市吉備津
【重文指定日】1902.04.17
【国宝指定日】1952.03.29
【説明】吉備津神社は,古代以来の吉備地方の鎮護として名高い。現在の社殿は足利義満の命により応永32年(1425)に再建された。本殿の平面は三間社の周囲に庇を二重に廻した形式をとり,内部に向かって次第に床と天井を高めている。屋根は前後二つの入母屋造を連結した比翼入母屋造と呼ばれる特異な外観を見せる。本殿前には妻入りの拝殿が接続し,本殿と同様に大仏様の手法を示す。独特な社殿形式の由来は明かでないが中世を代表する大型の神社建築として価値が高い。
吉備津神社のおみくじ
吉備津神社には、5種類のおみくじがあります。 おみくじを引く前に引き出しを覗くのは何となく気が引けますが、各々のおみくじに説明もなく迷ってしまいます。 中には家族連れやお付き合いしたての2人にはかなり気まずいおみくじもあるので、ご注意ください。
いにしえみくじ:「〇〇すべし」「〇〇良し」といったクラシックなおみくじです。
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よろこびみくじ:よろこび=悦びです。秘宝館が楽しめる方やメンバーなら面白いですよ。
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