国宝-工芸|天寿国繡帳[中宮寺/奈良]

国宝データ-工芸

中宮寺のこと

奈良斑鳩の法隆寺に隣接する「中宮寺(ちゅうぐうじ)」は、法隆寺と同じ飛鳥時代の創建で、法隆寺とは男性僧と尼僧で分かれていたと考えられている。 聖徳太子が、母で用明天皇の皇后だった穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとひめみこ)没後に、御所を寺に改めた。 16世紀に伏見宮家から姫君が入寺し、以降は尼門跡寺院となる。 本尊の『菩薩半跏像』は国宝。

本尊の国宝『菩薩半跏像』が安置される本堂

国宝『天寿国繡帳』

天寿国は、浄土の一種で聖徳太子が往生した後に住む世界とされるが、この名称は仏経典には見当たらず、浄土のいずれかに相当するなど諸説ある。 聖徳太子の没後に、妃の一人「橘大郎女(たちばなのおおいらつめ)」が太子を偲び、制作を推古天皇に上申して、宮中の女官である采女らが刺繍をした。

元は2帳が制作されたが、すでに大部分が失われており、当初の大きさや姿は不明である。 現存するのは縦88.8cm×横82.7で、複数の土台となる生地をつないでいくつかのブロックにし、中国風(飛鳥風)の衣装を着た人々が描かれる。 すでに大半が失われていることから、国宝指定の名称は『天寿国繍帳残闕』とされ、図柄の様子が天寿国を表した曼荼羅になっているので『天寿国曼荼羅繍帳』とも呼ばれる。

図柄の中に、上から見て図様化した亀がおり、その甲には4字の漢字が刺繍されている。 その文字をつなげた銘文が国宝『上宮聖徳法王帝説』に写されており、この繡帳が制作された由来が判明している。 現在は数個の亀甲しか確認できないが、元は100個の亀甲で構成されていたという。

中宮寺パンフレットより 国宝『天寿国繡帳』部分

この国宝を観るには

現物は奈良国立博物館に寄託されており、中宮寺の本堂にはレプリカが展示されていて、本尊を拝観すると観ることができる。 現物が公開されるのは、博物館などの展覧会だが、機会は多くない。

公開履歴

2021/7/13~  東京国立博物館「聖徳太子と法隆寺」
2021/1/26~3/21 九州国立博物館「奈良・中宮寺の国宝展
2017/10/3~10/22 京都国立博物館「国宝」

文化財指定データ

【台帳・管理ID】201-344
【指定番号】00057-00
【種別】工芸品
【指定名称】天寿国繡帳残闕
【ふりがな】てんじゅこくしゅうちょうざんけつ
【員数】1帳
【国】日本
【時代・年】飛鳥時代
【寸法・重量】縦88.8cm、横82.7cm
【品質・形状】紫羅、紫綾、白平絹の三種裂を下地裂として刺繡した断片を集め額装とする。上中下の三段に分かれ、各段を左右に二分しているが、下地裂を混用し、図様も連続しない。
【附指定】同残片
【所有者】中宮寺
【国宝指定日】1952.03.29
【説明】『上宮聖徳法王帝説』の繡帳銘文によると、推古天皇30年2月に聖徳太子が亡くなられたことを悲しんだ妃橘大女郎が、天寿国における太子往生の様を図像によって見たいものと天皇に申し上げ、椋部秦久麻の監修の下、下絵を描かせ、釆女たちに刺繡させて繡帷二帳ををつくったという。この一部が現存の残闕である。
下地裂や刺繡の差違は、鎌倉時代に朽損がひどかったため、新たに写して製作したことによる。現存する断片からは当初の大きさ、構図を推察することは困難であるが、残存部分に見られる図様は飛鳥時代の服飾の様相を示し、また紫羅地部分の刺繡は伝存最古の刺繡として極めて貴重である。

出典:国指定文化財等データベース一部抜粋
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