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国宝-工芸|綴織当麻曼荼羅図[當麻寺/奈良]

国宝DB-工芸

国宝『綴織当麻曼荼羅図』

縦横4m弱の絹糸で織られた観無量寿経の変相図で、阿弥陀如来の極楽浄土を表している。 密教の大日如来を中心とした曼荼羅とは異なり、中央に阿弥陀三尊が大きく織りだされ、左右には観無量寿経の説話が、下部には九品往生の様が織りだされている。 鎌倉時代以降に摸本が数多く作られたため、各地に「當麻曼荼羅」が残されている。 国宝の指定は当麻の字が使われているが、寺では當麻の字を使用しており、現在本堂に安置されている文亀本の縁起に使用される「曼陀羅」の文字が使われることもある。

中将姫伝説では蓮の茎から糸を織りだしたとされるが、実際には絹糸の綴織りで作られている。 国宝の指定では制作は日本となっているが、織り方などの最新の研究から同時代の日本で作られたものより大幅に技術が高く、中国製の可能性も指摘されている。 この曼荼羅のために作られた『厨子』も、国宝に指定されている。

参考:東京国立博物館蔵「当麻曼荼羅」14世紀

中将姫伝説

藤原豊成の娘「中将姫」は幼いころから深く仏教に帰依するが、継母のいじめにあい家を出て隠棲生活を過ごす。 都に戻った中将姫が1,000巻の写経を成し遂げると、西空に阿弥陀仏と極楽浄土の様子を見る。

出家を志した中将姫は導かれるように當麻寺に着くが、当時の當麻寺には尼僧はおらず入山はかなわなかったが、門前の石上で祈ると数日で石に足跡が刻まれ、それを見た別当(住職)は女人禁制を解いて中将姫を迎え入れる。

尼僧になった中将姫は、蓮の茎を集めよというお告げをうけ父の力も借りて蓮の茎を集め、井戸で清めると5色に染め上がる。 若い女性が現れ蓮の糸と中将姫を堂に導き、翌朝になると若い頃に西の空に見た阿弥陀如来と浄土が曼荼羅に織り上がっていた。

この国宝を観るには

布は紙に比べて寿命が短く、この曼荼羅図も損傷が激しいため、奈良国立博物館に寄託されてごくまれにしか公開されない。

公開履歴

2025/10/7~11/30 九州国立博物館「法然と極楽浄土」※期間未確認
2024/10/8~12/1 京都国立博物館「法然と極楽浄土」※期間未確認
2024/4/16~5/6 東京国立博物館「法然と極楽浄土」
2018/7/14~8/26 奈良国立博物館「糸のみほとけ」
2013/4/6~14、4/23~5/6 奈良国立博物館「當麻寺」

文化財指定データ

【台帳・管理ID】201-527
【指定番号】00231-00
【種別】工芸品
【指定名称】綴織当麻曼荼羅図
【ふりがな】つづれおりたいままんだらず
【員数】1幅
【国】日本
【時代・年】奈良時代
【寸法・重量】縦394.8cm、横396.9cm
【品質・形状】七幅横継ぎに重ねた平絹を本紙とし、その上に撚金糸、緑、朱、茶、黄など各種濃淡色の絹染糸を用いた綴織の大小断片を集成したものである。観経変相図の一形式である当麻曼荼羅の図相は左右縁と下縁に観無量寿経の序段及び十六観相(うち下縁は三輩九品往生相)を配し、中央の広範な部分に同経の奥義である阿弥陀諸聖衆をめぐる極楽浄土の荘厳相を表す。綴織欠失部分は絵画により補足されている。
【所有者】當麻寺
【国宝指定日】1961.04.27
【説明】仁治三年(1242)曼荼羅堂安置の厨子修理が行われた際、その保存のため厨子内に板装納置されたが、延宝年間に至り大雲院の性愚上人により板面から剥離され、現在の如く軸装されたと伝えられる。本紙の中央にあたる阿弥陀三尊を中心とした部分は極めて端厳なものがあり、宝冠等に用いられた金糸の華麗な手法になりながら、面相の描線のような流麗さがある。大幅でありながらも整然と構成されている点は見事であり、その充実した内容と共に高く評価される。

出典:国指定文化財等データベース一部抜粋

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