後撰和歌集とは
醍醐天皇の皇子で、同母兄の朱雀天皇の次代「村上天皇」の命により編纂された勅撰和歌集で、古今集に次ぐ2番目の勅撰和歌集。 紀貫之の子の紀時文や、清少納言の父の清原元輔ら、選者5名が梨壺で編纂したことから「梨壷の5人」と呼ばれた。
古今集同様、万葉集など古い時代から当時までの和歌が選ばれるが、贈答歌など日々の暮らしの中で詠まれた歌が多く、情景を説明するような長い詞書がつく。 村上天皇自身も歌や楽器を得意とし、後宮には斎宮女御として有名な徽子女王らがおり、歌合が催されるなど文化的な時代であった。
藤原定家と冷泉家
現在も京都御苑の北に屋敷を構える「冷泉家」は、鎌倉時代の公家「藤原定家(ふじわらの ていか、さだいえ)」や藤原道長を祖先に持つ和歌の家柄。 定家の孫の代に3家に分かれ、現在まで続くのは冷泉家のみ。 定家の日記や歌集が4点と、定家の父の藤原俊成による和歌の解説書1点が、国宝に指定されている。
冷泉家の邸内には文庫があり、平安時代以来の古文書や未術品が伝わっている。 明治維新で公家の多くが東京に移ったが、冷泉家は屋敷が残ったこともあり京都に住み続け、文庫と収蔵品が戦災や大震災にあわず、現在まで残された。 邸宅は非公開だが、特別公開などで一般公開される場合がある。
国宝『後撰和歌集』藤原定家筆
鎌倉時代に藤原定家が書写した後撰和歌集の写本で、奥書によって天福2年(1234年)に書かれたことがわかる。 別に譲与の奥書もあり、定家の子の為家が、子の為相(定家の孫で、冷泉家の家祖)に譲り渡している。 この写本には、定家による研究も書き込まれている。
公開履歴
2024/9/14~9/29 筆の里工房「定家様が伝えた文化」
文化財指定データ
【台帳・管理ID】201-776
出典:国指定文化財等データベース一部抜粋
【指定番号】00271-00
【種別】書跡・典籍
【指定名称】後撰和歌集〈藤原定家筆/〉
【ふりがな】ごせんわかしゅう
【員数】1帖
【時代・年】天福2年(1234年)
【寸法・重量】縦22.9cm、横14.3cm、紙数202丁
【作者】藤原定家
【ト書】天福二年三月二日書写奥書
【所有者】冷泉家時雨亭文庫
【国宝指定日】1983.06.06
【説明】藤原定家が天福二年(一二三四)に書写した『後撰和歌集』(二十巻)である。後世、『後撰集』研究上に重要な証本とされたいわゆる「天福本後撰集」の原本で、帖末に天福二年三月の定家七十三歳の時の書写奥書、および同年四月に藤原行成の筆写本によって校合した旨の校合奥書があり、また為家が子の為相にこの本を譲与した旨の譲与奥書があって、本帖が『古今集』とともに為相に相伝されたことを明らかにしている。本文中には定家自筆で和歌追記、作者・詞書等の勘物、異本校合などが書き込まれており、定家の『後撰集』研究の跡を伝えている。