理源大師聖宝と醍醐寺
空海の孫弟子にあたる平安時代初期の僧「聖宝(しょうぼう)」は、真言だけでなく法相や華厳など様々な教えを修め、役小角を慕い修験道の修行も行った。 道場を開く場所を探していた聖宝が笠取山に登ると、老翁の姿で現れた地主の横尾明神が、湧き出る清水を飲み「醍醐味なり」と言ったと伝わり、寺の名前にもなっている。 横尾明神からこの地を譲られた聖宝は、准胝観音と如意輪観音をまつる堂宇を建立し、これが醍醐寺の始まりである。 醍醐水は現在でも湧き出ており、醍醐寺の閼伽水(仏教の儀式などに使われる水)として使われている。
国宝『理源大師筆処分状』
醍醐寺の開山である理源大師聖宝の直筆文書で、醍醐寺他の管理をそれまで任せていた僧から別の高弟に変更すると書かれている。 延喜七年六月二日の日付が書かれており、聖宝が亡くなったのが延喜9年(909年)なので最晩年にあたる。
公開履歴
2024/7/24~8/25 大阪中之島美術館「醍醐寺 国宝展」
2019/1/29~2/24 九州国立博物館「京都・醍醐寺展」
2018/10/17~11/11 サントリー美術館「京都・醍醐寺展」
文化財指定データ
【台帳・管理ID】201-812
出典:国指定文化財等データベース一部抜粋
【指定番号】00038-00
【種別】古文書
【指定名称】理源大師筆処分状
【ふりがな】りげんだいしひつしょぶんじょう
【員数】1巻
【時代・年】907年
【ト書】延喜七年六月二日
【所有者】醍醐寺
【国宝指定日】1959.06.27