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国宝-古文書|後宇多天皇宸翰御手印遺告[大覚寺/京都]

国宝DB-古文書

後宇多天皇のこと

鎌倉時代の第91代天皇で、亀山天皇と皇后の間の第2皇子(第1皇子は早世)として生まれた後宇多天皇は、兄の後深草天皇より弟の亀山天皇を愛した祖父にあたる後嵯峨天皇の意向もあり、皇太子に立てられる。 8歳で父の譲位を受けて即位するが、亀山上皇による院政が敷かれた。 20歳の時に、従兄で後深草天皇の皇子の伏見天皇に位を譲るとこの系統が持明院統となり、2代後に後宇多天皇の皇子で後醍醐天皇の兄の後二条天皇が即位すると大覚寺統と呼ばれ「両統迭立」が行われる。 寵姫を亡くすと深く悲しんで仁和寺で出家し、その後は大覚寺の門跡となって伽藍の整備などを進めたので、大覚寺では中興の祖とされている。 

後宇多天皇宸翰御手印遺告

徳治2年(1307年)に剃髪した後宇多法皇は、祖父の後嵯峨上皇と父の亀山上皇も入寺した大覚寺に入り、第23代の門跡となった。 この宸翰は、元亨元年(1321年)に後宇多天皇が自筆で記したもので、自身の手形を朱で押す「御手印」がある。 遺告(ゆいごう)は、高僧が亡くなる前に、弟子達に守るべきことや心得を書き残すもので、大覚寺の縁起を記した後に、21ヶ条を示している。 

名君として名高かった後宇多天皇は、学問や書でも評価が高く、この遺告を含め4件が国宝に指定され、大覚寺にはもう1点『後宇多天皇宸翰弘法大師伝』が伝わる。 これが書かれたのは、譲位し出家した後なので後宇多法皇時代だが、文化庁は他の宸翰と同様に「後宇多天皇」として国宝に指定している。 現行の文化財保護法の元では第1回目となる、昭和26年(1951年)に国宝指定を受けている。

大覚寺 霊宝館「中世の英主・後宇多法皇と大覚寺」 チラシより

この国宝を観るには

大覚寺霊宝館の特別展で、数年に1度公開されるほか、寄託されている京都国立博物館の特別展や通常展(名品ギャラリー)に出展されることもある。

公開履歴

2025/2/18~3/16 東京国立博物館「旧嵯峨御所 大覚寺」
2021/10/8~12/6 大覚寺 霊宝館「中世の英主・後宇多法皇と大覚寺」
2019/3/15~5/13 大覚寺 霊宝館「天皇と大覚寺」
2017/10/17~10/29 京都国立博物館「国宝」

文化財指定データ

【台帳・管理ID】201-824
【指定番号】00050-00
【種別】古文書
【指定名称】後宇多天皇宸翰御手印遺告
【ふりがな】ごうだてんのうしんかんおていんゆいごう
【員数】1巻
【国】日本
【時代・年】鎌倉時代
【作者】後宇多天皇
【所有者】大覚寺
【国宝指定日】1951.06.09

出典:国指定文化財等データベース一部抜
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