土左日記(土佐日記)のこと
平安時代の貴族で、三十六歌仙にも選ばれる和歌の名手「紀貫之」による紀行文で、作者が女性であるかのように仮名文字で書かれている。 紀貫之が地方官「土佐守」の任を終えて、京に戻るまでの様子が面白くつづられ、その後の平安女流文学に多大な影響を与えたといわれる。
室町時代頃までは、貫之による自筆本が存在していたと伝わるが、現在は不明となっている。 鎌倉時代には蓮華王院の所蔵だった時期があり、藤原定家とその子息の藤原為家は自筆本から書写している。 その写本は現在まで伝わっており、書かれた当時の内容がほぼそのまま伝わっていると考えられる。 写本はいずれも国宝に指定されている。
国宝『土左日記』(為家本)
嘉禎2年(1236年)に、藤原為家が一字も違えずに書写したことが、書き残されており「為家本」と通称される。 為家の父定家による「定家本」のほうが古いが、仮名を一部書きかえるなどしており、為家本のほうが貫之の自筆本をよく伝えているといわれる。 現在は「土佐日記」として知られるが、この写本では「土左日記」と書かれている。
博物館公式サイトの「主な収蔵資料」で画像が見られます
この国宝を観るには
所蔵館の大阪青山歴史文学博物館で開催される企画展に出展される場合がある。
公開履歴
2019/11/1~11/16 大阪青山歴史文学博物館「天皇の書-宸翰-」
文化財指定データ
【台帳・管理ID】201-8898
出典:国指定文化財等データベース一部抜
【指定番号】00274-00
【種別】書跡・典籍
【指定名称】土左日記
【ふりがな】とさにっき
【員数】1帖
【時代・年】鎌倉時代(1234年)
【寸法・重量】縦16.8cm 横15.3cm 丁数50丁
【ト書】嘉禎二年八月二十九日藤原為家書写奥書
【所在地】大阪青山歴史文学博物館
【国宝指定日】1999.06.07
【説明】わが国最初の仮名日記として著名な『土左日記』の写本である本書は、藤原為家(一一九八-一二七五年)が嘉禎二年(一二三六)に、紀貫之(八六八-九四六年)の自筆原本を、仮名の字体や文章の表記等を含めて忠実に書写したものである。
体裁は綴葉装冊子本、本文料紙共紙表紙の中央に「土左日記」と外題を墨書している。料紙は楮紙(打紙)を用い、丁数は五〇丁。本文は半葉八行から一〇行、一行一二字から一九字に書写され、和歌は改行せず本文に続けて一、二字分の空白に次いで書かれている。巻末には嘉禎二年八月二十九日の為家書写奥書があり、「紀氏正本」をもって一字も違わずに書写した旨を記している。
『土左日記』の写本は、従来、この為家本を忠実に臨模した青谿書屋本(大島雅太郎氏旧蔵、現東海大学所蔵)が、貫之自筆本の本文を最もよく伝えた最善本とされてきた。本書はその親本にあたり、昭和六十年に重要文化財、今回さらに国宝に指定された。
本書の書写の前年にあたる文暦二年(一二三五)五月、父定家が書写した前田育徳会所蔵本(国宝)は、『土左日記』の現存最古写本で、自筆本の書誌や本文の臨模を巻末に伝えるが、書写の際に、仮名の字体の変更、仮名を真名に置換するなど、仮名遣いを定家自らのものに改めている。
これに対し、本書の場合、本文を前田育徳会本の臨模部分の同一箇所と比較してみると、為家が貫之の字体を正確にたどっていることが明らかであり、和歌の書式についても前田育徳会本の奥書の記載と符合する。本書は、自筆本の本文、その真名と仮名の使い分け、仮名の字体など、仮名日記文学の創始としての『土左日記』の価値を余すところなく伝えた唯一の古写本である。
以上のように、本書は、貫之自筆本の原姿を最もよく遺した鎌倉時代中期の写本であり、一〇世紀の仮名文字遣いを伝え、文化史上および国語学・国文学研究上にきわめて貴重である。