伊能忠敬のこと
日本で最初の測量地図を作った伊能忠敬(いのうただたか)は、延享2年(1745年)に、上総国山武郡(現在の千葉県山武郡九十九里町)で生まれ、佐原の名家の婿になった伊能忠敬は、49歳で家督を長男に譲って隠居します。 落語の世界のご隠居さんは、囲碁や将棋、近所の世話役をしたりとのんびり過ごしていますが、伊能忠敬は隠居の翌年から江戸に引越して、幕府の天文方「高橋至時」に弟子入りしてしまいます。 ちなみに師の高橋至時は、明和元年(1764年)生まれと、忠敬よりも20歳近く年下でした。
最初の測量旅は、入門から5年後の寛政12年(1800年)で、奥州街道と蝦夷東海岸へ出かけていて、その後も毎年測量の旅を続けました。 4年後の文化元年(1804年)に東日本の地図を幕府に献上すると、家斉将軍の上覧を受け、幕府に召し抱えられることになります。 翌年からは、幕府や諸藩の協力も得て、文化13年(1816年)まで測量旅を続けました。 残念ながら日本初の計測全国地図の完成を見ることなく、文政元年(1818年)に73歳で世を去りますが、遺志は弟子たちが引き継ぎ、文政4年(1821年)に孫の伊能忠誨が幕府に上呈しています。
伊能図上呈200年記念特別展 伊能忠敬
今年2021年は、伊能図が献上された文政4年(1821年)から200年にあたり、神戸市立博物館ではそれを記念した特別展「伊能忠敬」が開かれます。 国宝に指定された『伊能忠敬関係資料』は、2千点以上の資料があり、婿入りから隠居までを過ごした佐原市の「伊能忠敬記念館」では、入れ替えをしながら国宝の一部が常時公開されています。 また日本全国の地図があるので、地域の歴史に関する展覧会などに出展されることが多い国宝ですが、これだけまとまった数の資料が観られるのは貴重な展覧会です。
幕府に献上された地図の原本は、明治に入ると新政府に引き継がれるのですが、明治6年(1873年)の皇居の大火災で焼失してしまいます。 その後、伊能家が保管していた控を献上ますが、これも関東大震災で焼失してしまい、国宝に指定された地図は、下書きのような「下図」などが中心です。 ですが、大名家に献上された地図や地図の写しなどが残っているので、それらが全国から集められる貴重な展覧会になりそうです。
この展覧会で観られる国宝
伊能忠敬関係資料 [伊能忠敬記念館/千葉]
国宝に指定された2千点を超える資料は、伊能家に伝わったものです。 地図は正本も控えの副本も献上していますが、地図を作るための下図や現地のスケッチなどは伊能家に残っていました。 また、忠敬が使用した計測器具や書跡類からは、忠敬がどのように学んで地図を作ったか、足跡を知ることができます。
地図・絵図類 787点
文書・記録類 569点
書状類 398点
典籍類 528点
器具類 63点
常設展で観られる国宝
桜ヶ丘遺跡出土 銅鐸・銅戈
神戸市立博物館の常設展では、灘区桜ヶ丘から出土した銅鐸と銅戈が展示されています。 数年前にリニューアルされたばかりの、とてもオシャレな空間です。 特別展とは別に料金がかかりますが、特別展を観た当日は¥300の入館料が¥200に割り引かれます。
流水文銅鐸 3個
袈裟襷文銅鐸 11個
銅戈 7個
展覧会 概要
期間:2021/7/10~8/29(前期~8/1、後期8/4~)
休館:8/3、月曜日(8/9は開館し、8/10が休館)
時間:9:30~17:30(入館は30分前まで)
夜間:金・土は19:30まで開館(入館は30分前まで)
料金:一般¥1,400、大学生¥700、高校生以下無料
神戸市立博物館 公式サイト