薬師寺のこと
天武天皇9年(680年)に、天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒を願って発願し、当時都のあった飛鳥に建立された。 平城京への遷都に伴って、薬師寺も現在の場所に移転する。 度々、失火や戦火、天災にあっており、奈良時代の建物で現存するのは、国宝の『東塔』のみである。
国宝『東院堂』
長屋王の妃であった吉備内親王が、母である元明天皇の為に、養老年間(717~724年)に東院を建立する。 東院堂は、伽藍回廊の外側に位置するが、創建当時は現在より更に東外側に建てられており、天禄4年(973年)に消失している。 飛鳥時代に作られた、国宝の『聖観音立像』を本尊とする。
現在の建物は、弘安8年(1285年)に再建されたもので、鎌倉時代の和様の様式で建てられている。 薬師寺に再建された他の堂宇は、創建当時の様式に倣い土間になっているが、東院堂は畳敷きになっている。
再建当時は南向きだったが、享保18年(1733年)に西向きに変えられている。 仏教が日本に伝わった当時は、門は南にあり建物も南向きだったが、平安期以降の阿弥陀信仰で、西向きに建てられることが多くなっていく。
この国宝を観るには
薬師寺は、時期によって公開エリアが異なるが、東院堂は年中通して公開される「白鳳伽藍」にあるので、いつでも拝観することができる。
文化財指定データ
【台帳・管理ID】102-2471
出典:国指定文化財等データベース一部抜粋
【指定番号】00211
【種別】近世以前/寺院
【指定名称】薬師寺東院堂
【ふりがな】やくしじとういんどう
【員数】1棟
【時代・年】弘安8年(1285年)
【構造・形式】桁行七間、梁間四間、一重、入母屋造、本瓦葺
【附指定】平瓦 1枚
【所在地】奈良県奈良市西ノ京町
【国宝指定日】1961.04.27
【説明】本尊は国宝聖観音である。弘安八年(一二八五)の建立であって、古い平面が守られている。しかし様式にはこの時代の特徴がよくみられる。 鎌倉時代仏堂の優品の一である。
鑑賞ログ
2019年1月
薬師寺は、銅造の仏像群や東塔のイメージが強く、再建された建物も天平の世界なのですが、ここだけ異空間です。 奈良の古いお寺では、まず靴を脱ぐことは少ないのですが、こちらは石の基壇をあがって、靴を脱いでお参りします。 いかにも日本らしい風景ですが、ご本尊はエキゾチックな銅造の観音様です。