国宝『西円堂』
鎌倉時代に建てられた八角円堂で、金堂や五重塔が立ち並ぶ「西院伽藍」の北西にある小高い場所に建つ。 法隆寺の主要な伽藍は有料拝観だが、この西円堂は無料で拝観できる。
本尊は乾漆造の国宝『薬師如来坐像』で「峯の薬師」として親しまれ、数多くの奉納品が堂内にあったが、現在はそれらは宝物庫に移されている。 最初の西円堂は、養老2年(718年)に藤原不比等の妻で光明皇后の母である「橘三千代」の発願で、行基が建立したと伝承されるが、実際はもう少し後のものだと考えられる。
石の基壇上に建てられており、基壇の一部には奈良時代の創建当時の石が残っている。 瓦葺の屋根の中央には宝珠が乗り、連子窓や天井を張らない化粧屋根裏など、奈良時代の様式が取り入れられている。 江戸時代には、堂の正面に唐破風が付けられたが、昭和の修理で唐破風はなくなり、向拝だけが残っている。
この国宝を観るには
西院伽藍の北西にあり、有料エリアの外にあるので、無料で参拝することができる。 中の薬師如来も国宝である。
この国宝でのイベント
2月1~3日には「修二会」が行われる。 結願の3日には「追儺式(鬼追い式)」が行われ、黒・青・赤色の鬼が松明を投げ、やがて毘沙門天に追い払われる。
文化財指定データ
【台帳・管理ID】102-2700
出典:国指定文化財等データベース一部抜粋
【指定番号】00174
【種別】近世以前/寺院
【指定名称】法隆寺西円堂
【ふりがな】ほうりゅうじさいえんどう
【員数】1棟
【時代・年】建長2年(1250年)
【構造・形式】八角円堂、一重、本瓦葺
【附指定】旧小屋組心束1本、棟札2枚
【所在地】奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内
【国宝指定日】1955.02.02
【説明】西円堂は寺地西北隅のやや高いところにあり、奈良時代の創建で、本尊薬師如来坐像は橘夫人の発願になると伝えるが、天平十九年(七四七)の『資材帳』には記載がない。当初の建物は永承五年(一〇五〇)に破損し、本尊は講堂に移されたが、建長二年(一二五〇)に再建された(心束墨書)。その後応永五年(一三九八)、慶長、元禄などに修理をうけ、文政八年(一八二五)に唐破風造の向拝を付加したが、昭和修理で向拝を切り離し、現状の形に整えた。
壇上積基壇の上に建つ八角円堂で、側柱礎石は自然石であるが、入側柱の凝灰岩切石の礎石は創建堂のものが残る。八角柱を用い、側柱上は三斗組をおき、中備は間斗束、軒は二軒繁垂木、屋根の頂上には露盤と宝珠をのせ、東院夢殿よりも簡素な扱いとする。入側柱上には大斗をおいて直接桁をうけ、中備は皿斗付の間斗を用いる。側・入側の間には繋虹梁と飛貫を入れる。四面を扉口、その中間は正面左右は連子窓、背面側は土壁とする。
内部は周囲を石敷とし、入側柱を囲んで二重の木造仏壇を構えているが、内部に創建当時の土築の仏像が残る。天井は全体を化粧屋根裏とする。入側中備の皿斗付の間斗や、側頭貫の幅を柱のきわで小さくしている手法は、大仏様の影響である。
永承倒壊後、長く再建されなかったから、構造や細部まで創建堂を踏襲しているかどうかは疑わしいが、このような簡素な形式は奈良時代以来と思われ、八角円堂として貴重な存在である。
【引用文献】
『国宝大辞典(五)建造物』(講談社 一九八五)