藤原定家と冷泉家
現在も、京都御苑の北に屋敷を構える「冷泉家」は、鎌倉時代の公家「藤原定家(ふじわらの ていか・さだいえ)」や藤原道長を祖先に持つ、和歌の家柄。 定家の孫の代に3家に分かれるが、現在まで続くのは冷泉家のみ。 定家の日記や歌集が4点と、定家の父の藤原俊成による和歌の解説書1点が、国宝に指定されている。
冷泉家の邸内には文庫があり、平安時代以来の古文書や未術品が伝わっている。 明治維新で公家の多くが東京に移ったが、冷泉家は屋敷が残ったこともあり京都に住み続け、文庫と収蔵品が戦災や大震災にあわず、現在まで残された。
国宝『明月記』
藤原定家の自筆による日記で、その期間は50年を超えるため量も膨大で、一部は流出するが、それでも冷泉家に58巻が伝わる。 定家は歌人としてだけでなく、書の評価も高いため、断簡が軸装されたり手鑑に収蔵されるなどした。
内容は、宮廷の政治や有職故実だけでなく、公家の暮らしや世の中のことも書かれており、社会学的な資料としても貴重である。 書かれた当時は陰陽道が盛んで、天体の異変や災害についても記録され、天文学や災害研究の資料にもなっている。
この国宝を観るには
冷泉家は特別公開される場合があるが、その際にも書跡や古文書は公開されない。 美術館・博物館などへ貸し出される場合がある。
公開履歴
2024/9/14~9/29 筆の里工房「定家様が伝えた文化」
2021/7/24~9/12 京都国立博物館「京の国宝」
2019/9/6~10/14 泉屋博古館「文化財よ、永遠に」
文化財指定データ
【台帳・管理ID】201-9062
出典:国指定文化財等データベース一部抜粋
【指定番号】00057-00
【種別】古文書
【指定名称】明月記〈自筆本/〉
【ふりがな】めいげつき
【員数】58巻、1幅
【時代・年】鎌倉時代
【寸法・重量】補写本 1巻、旧表紙(十枚) 1巻
【所有者】冷泉家時雨亭文庫
【国宝指定日】2000.06.27
【説明】冷泉家に伝来した藤原定家の日記『明月記』の原本で、日次記五六巻、一幅、本記の抄出記【しゅうしゅつき】と思われる建久九年十二月十日臨時祭記一巻、および年未詳断簡一巻からなる。
『明月記』は、源平の争乱から承久の乱後に至る変動期の宮廷・公家社会の実相や武家の動静をはじめ、自らの文学活動や所感などを記した鎌倉時代前期研究の第一級史料である。その執筆年代は、治承年間(一一七七-八〇年)から八〇歳で薨じた仁治二年(一二四一)に及ぶと伝えられている。
このうち冷泉家時雨亭文庫所蔵の日次記は、建久三年(一一九二)三月から天福元年(一二三三)十月に至る間を、途中断絶しながら凡そ二五年分を存している。各巻はほぼ三か月ごとの季別に成巻【せいかん】されている。新たに見出された掛幅【かけふく】は、正治二年十月廿七日条の断簡で、定家の正四位下の叙位に関わる記事である。
本文料紙は楮紙打紙を用い、記事は日付に次いで書かれている。いずれも定家が自ら整理した清書本で、文中には、定家による加筆や墨抹消訂正などが少なくない。なかには、定家の指揮監督下に側近の者たちによって書写されたものも含まれている。
紙背文書【しはいもんじょ】は計三四巻にあり、その通数は凡そ六百通である。昭和五十七年に重要文化財に指定され、同六十三年より一二か年をかけて修理が行われ、紙背文書が解読できるようになった。ほとんどが書状で、定家宛が多く、『明月記』本文を補完する重要な資料である。今回、修理完成とともに国宝に指定された。
附の補写本建仁三年(一二〇三)十二月記は、江戸時代中期の写本で、原本と一具として伝わった。旧表紙一巻は一〇巻分の旧表紙からなる。ともに往時の伝来が知られる資料である。