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国宝-建築|観心寺 金堂[大阪]

国宝DB-建築

観心寺のこと

奈良や和歌山との県境に近い大阪府河内長野市にある寺院で、大宝元年(701年)に役行者によって開かれたと伝わる。 大同3年(808年)に、帰国して数年の空海が訪れ北斗七星を勧請し、現在でも星塚めぐりができる。 空海はその後も訪れており、弟子の実恵に観心寺を託して、更にその弟子の時代にかけて伽藍が整えられた。

観心寺は、河内の豪族「楠木氏」の菩提寺で、討ち死にした楠木正成の首が届けられ、境内には首塚が残る。 南朝とゆかりが深く、後醍醐天皇の皇子で南朝2代天皇の後村上天皇は、この寺を仮御所の「行宮(あんぐう)」とし、境内には陵が作られた。

国宝『金堂』

南北朝時代の正平年間(1346~1369年)に建立された金堂は、本尊の国宝『如意輪観音坐像』をまつる、観心寺の本堂。 後醍醐天皇は、元弘3年(1333年)に建武の新政を始めると、金堂外陣造営の勅を出し、楠木正成を奉行に任命する。 後醍醐天皇は、金堂完成前の延元4年(1339年)に崩御している。

桁行・梁間(堂の縦横)それぞれ7間(柱の間が7つ)で、和様・禅宗様・大仏様の特色がみられる折衷様式である。 屋根は瓦葺の入母屋造りで、正面5間は観音開きの桟唐戸で、両端は連子窓になっている。 正面の3間は、1間の向拝が付けられている。 本尊をまつる厨子の手前には、中央に向き合うように板壁が立てられ、両界曼荼羅が描かれている。

この国宝を観るには

拝観寺院なので、9:00~17:00ならいつでも参拝可能。 4/17・18は本尊のご開帳があり、その期間は特別料金になる。

文化財指定データ

【台帳・管理ID】102-2185
【指定番号】00054
【種別】近世以前/寺院
【指定名称】観心寺金堂
【ふりがな】かんしんじこんどう
【員数】1棟
【時代・年】正平(1346~1369年)
【構造・形式】桁行七間、梁間七間、一重、入母屋造、向拝三間、本瓦葺
【附指定】棟札1枚
【所在地】大阪府河内長野市寺元
【国宝指定日】1952.03.29

出典:国指定文化財等データベース一部抜粋
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