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情報|奈良国立博物館「空海 KUKAI」2024/4/13~6/9

情報-博物館・美術館

空海 KUKAI 展

昨年は空海が生れて1250年ということで、生誕地の善通寺をはじめ、あちらこちらで特別公開や記念展覧会が開かれました。 そのラストになるでしょうか、奈良国立博物館では「空海 KŪKAI-密教のルーツとマンダラ世界」展が開かれます。

まずこの展覧会の目玉といえるのが、長期の修復が終わって久しぶりに公開される神護寺の国宝『高尾曼荼羅』です。 これは空海が制作に関わったと思われる現存唯一の曼荼羅で、こちらを企画の中心として、密教はどんなものかだとか、遣唐使がもたらした文物などが多く紹介されるようです。 

今回公開される国宝のラインナップを見ると、空海が唐から持ち帰ったものや、その関連資料がとても多いんです。 それが1200年も伝承され、しかも一部の法具や仏画は現役の法要に使われているというのですから、不思議な力に護られているのでしょうか。

奈良国立博物館「空海 KUKAI」チラシ

この展覧会で観られる国宝

公開レア度 ★★★ 10~数十年レベルで公開が少ないもの

公開レア度 ★★☆ 公開が少ないものや、特定の場所でしか公開されないなど

※こちらのタグは管理人個人の感覚で付けています。 スケジュールの参考になさってください。

第1章 密教とはー空海の伝えたマンダラの世界

五智如来坐像[安祥寺/京都]通期●●

数年前まで、京都国立博物館の1階で長く公開されていたので、ありがたみが薄れてきてきましたが、いざいなくなると寂しいものです。 中央の大日如来が2まわりほど大きく、5躯それぞれが異なる印を結んでいます。 貴族的な雰囲気ですが、平安後期の定朝なんかの雰囲気とも異なり、密教的なおごそかさも感じる威厳のある仏像です。

十二天像[西大寺/奈良]前期●-

修法の時に堂内に掛けられる仏画で、東西南北とその間の8方向に上下と日・月を加えた12の方角を守護するのが十二天です。 奈良の西大寺に伝わるのは、平安時代初期に製作されたと思われる現存最古の十二天像で、鳥獣座に乗るなど古い形式が多くみられるようです。 前期のみですが、12幅すべてが公開されます。

十二天像[京都国立博物館]後期-●

前期の西大寺の十二天像に替わって、元は東寺に伝わったという平安後期の十二天像が登場します。 西大寺は12幅が揃いましたが、こちらはスペースの関係か「水天」「風天」「毘沙門天」「伊舎那天」「地天」の5幅が公開されます。 院政期らしく、截金が施された華やかな仏画です。

五大尊像[東寺/京都]前期●- 公開レア度 ★★☆

後七日御修法で使用された大型の掛軸で、五体尊像という名前ですが、五大明王と同じメンバーのようです。 名称については不勉強のため使い分けが分かりませんが、修法によって変わったりするのでしょうか? 鳥羽院の命で制作されたようで、憤怒形に炎の迫力ながら貴族的な品の良さがあります。 今回は「不動明王」と「大威徳明王」の2幅が公開されます。

五大尊像[醍醐寺/京都]後期-●

前期に公開される東寺の五大尊像に替わって、醍醐寺の五大尊像は鎌倉時代に描かれたものです。 とても大きな掛軸で、明王が背負う炎も迫力があり、軍荼利明王の巻きつける蛇など恐ろしいほどです。 こちらは5幅揃って公開されるようです。

第2章 密教の源流-陸と海のシルクロード

智証大師関係文書典籍[園城寺(三井寺)/滋賀]通期●●

唐に渡って日本に密教をもたらした8人の僧=入唐八家の1人で、延暦寺の座主を務めた後に三井寺を再興して天台宗寺門派の祖となった「円珍」に関連する古文書や請来した経典などで、今回は梵夾というサンスクリット語で書かれた経典の「大日経真言」と「十二天真言」が公開されます。 

大毘遮那成佛神変加持経(吉備由利願経)[西大寺/奈良]通期●●

奈良時代に活躍した吉備真備の娘(妹説もある)の吉備由利は、女官として出仕し称徳天皇に厚く信任され、称徳天皇が病に伏した時は由利だけが病床に近づけたといいます。 この一切経は、吉備由利が称徳天皇のために発願し西大寺に奉納したもので、この「大毘遮那成佛神変加持経」は別名「大日経」で、胎蔵界曼荼羅はこの経典によるものです。

第3章 空海入唐-恵果との出会いと胎蔵界・金剛界の融合

聾瞽指帰(空海筆)[金剛峯寺/和歌山]前期●- 高野山三大秘宝

今回、空海の直筆がたくさん公開されますが、唐に渡る前の若い時代の真筆はこの1点だけなんです。 自分が出家して仏教の道に進むことを親族に表明した文書で、仏教・儒教・道教の3つの教えについて、架空の人物が討論を行う形式で書かれています。 上下2巻が国宝に指定されている内、今回公開される下巻には夢窓疎石による跋文が付いています。

真言七祖像[東寺/京都]通期●●

真言七祖というのは、真言宗で重視される7人の祖師で、これに空海を加えて真言八祖となることもあります。 大型の掛軸で、7幅の内5幅は空海が唐で師の恵果から贈られたもの、残りの2幅は帰国した空海が日本で作らせたものです。 今回、前期には「不空」が、後期には「恵果」が公開されますが、これはどちらも唐で描かれたものです。

諸尊仏龕[金剛峯寺/和歌山]通期●● 高野山三大秘宝

仏龕(ぶつがん)というのは、仏像や経典を安置する厨子やスペースの事で、大きいものはバーミヤン遺跡などのように壁面に彫られたりもしますが、こちらは23cmほどの小型の仏龕です。 白檀という香木を割って、左右の扉と正面にたくさんの仏像=諸尊が彫られています。 空海が唐から持ち帰り枕本尊にしていたそうで、高野山三大秘宝の1つです。

密教法具(空海請来)[東寺/京都]通期●● 公開レア度 ★★☆

空海が唐から持ち帰った密教の儀式で使用する仏具で、当初は9種だったようですが、盗難などにあい、残った「金銅五鈷杵」「金銅五鈷鈴」「金銅金剛盤」の3点が国宝に指定されています。 現在でも後七日御修法で使用されているというから驚きます。 今回のような大きい展覧会で公開されることはありますが、公開が少なめの国宝です。

金銅錫杖頭[善通寺/香川]通期●● 公開レア度 ★★☆

錫杖(しゃくじょう)は僧や修験者が持っている杖のことで、お地蔵さんが手にしているといえば分かりやすいでしょうか。 これは杖の上部に付ける金属部分で、空海が唐で師の恵果から授かったというもので、空海の生家跡を寺にした香川県の善通寺に伝わりました。 各地の温泉地に行くと、あちこちに空海が錫杖や独鈷を突いて温泉が湧き出た話がありますが、もしかするとこの錫杖で掘られた温泉があるのかもしれません。 善通寺で6/13・14に公開されますが、それ以外では公開が少なめです。

三十帖冊子・冊子箱[仁和寺/京都]通期●●

空海が唐で、師の恵果からの教えや経典を書写したもので、空海の直筆の他に20名ほどの写経生らの筆跡もあるようです。 空海が書いた目録によると当初は38冊あったようですが、前期のみ公開される漆蒔絵の冊子箱を醍醐天皇が東寺に下賜した延喜の頃(空海の没後100年弱)にはすでに30冊しか残っていなかったようで、その数から三十帖冊子と呼ばれています。 前期・後期で冊子が2冊ずつ、前期には冊子箱も公開されます。

弘法大師請来目録(最澄筆)[東寺/京都]前期●-

遣唐使船に乗って唐に渡った留学僧は、現地で知識を得るだけでなく、経典を書写したり文物を収集して日本にもたらしました。 それらはリスト化されて請来目録として朝廷にも報告されています。 空海が書いた目録は残っていませんが、空海の請来目録を最澄が書写したものが残っています。 現在は東寺の所有ですが、元は延暦寺にあったもので、延暦寺の古い名前の「比叡寺」印が押されています。

第4章 神護寺と東寺-密教流布と護国

両界曼荼羅図(高雄曼荼羅)[神護寺/京都]通期●● 公開レア度 ★★★

この企画展の一番の推し、空海が制作に携わったと思われる、現存唯一の曼荼羅です。 東寺の伝真言院曼荼羅は「着色された曼荼羅で現存最古」で、こちらは紫色の絹地に金銀泥で描かれた曼荼羅で、更に古く日本の曼荼羅として現存最古ということになります。 前期(4/13~5/12)は胎蔵界曼荼羅、後期(5/14~6/9)は金剛界曼荼羅が公開されます。 これの為に奈良遠征するつもりでしたが、夏の神護寺展で東京に来るようなので迷うところです。

潅頂歴名(空海筆)[神護寺/京都]4/13~4/29

唐から帰国した空海は、しばらく福岡に滞在した後、京都の神護寺を拠点としました。 弘仁3年(812年)には日本で最初の金剛界・胎蔵界の結縁灌頂を行い(別の灌頂の儀式は数年前に最澄が行っています)最澄も弟子と共に参加しました。 これは灌頂の時に空海が記した名簿で、先頭に最澄の名前が書かれています。 儀式の最中に書いたのだそうで、行頭が斜めになっていたり走り書きのような字がリアルです。

尺牘 久隔帖(伝最澄筆)[奈良国立博物館]後期-●

前期には『風信帖』という空海から最澄宛の書状が公開されますが、こちらは最澄からの書状です。 最澄の弟子でこの時期に空海に預けていた「泰範」という弟子宛になっていますが、空海に質問してほしいという内容で、空海が見ることを想定して書かれているようです。 書状の書き出しが「久隔清音」で始まるので、久隔状と呼ばれています。

国宝『久隔帖(伝最澄筆)』奈良国立博物館

風信帖(空海筆)[東寺/京都]前期●-

書道のお手本にもよく使われる「風信帖」は、国宝指定の正式名称は「弘法大師筆尺牘三通」といい、空海から最澄への書状3通を1巻に貼ったものです。 1通目の書き出しが「風信雲書」で始まるので、風信状と呼ばれているんです。 ちなみに、2通目は「忽披帖」、3通目は「忽恵帖」です。 空海の真筆の中でも特に人気があります。

金剛般若経開題残巻(空海筆)[奈良国立博物館]前期●-

空海直筆の金剛般若経についての解釈書で、かなり昔に断簡されていたようです。 奈良国立博物館に所蔵されているものは38行分、後期に公開される京都国立博物館所蔵の国宝は63行分あります。 所々に消したり書き直した跡があるので、草稿だったと考えられています。

国宝『金剛般若経開題残巻(空海筆)』奈良国立博物館

金剛般若経開題残巻(空海筆)[京都国立博物館]後期-●

前期に奈良国立博物館所蔵の同名の国宝が公開されていて、元は1つだったものです。 元は京都三弘法に数えられる「神光院」にありましたが、早い時期に断簡にされたようで、京都国立博物館所蔵品は63行分あります。

大日経開題(空海筆)[醍醐寺/京都]前期●-

密教で重要視される経典に「大日経」があり、大日経の解説書として「大日経疏」がありますが、この「大日経開題」は、唐に留学中の空海が大日経疏から更に重要な部分を抜き書きしたものです。 紙の質やサイズが揃っていないものが継ぎ合わされていたり、書体も楷書・行書・草書が混ざり行間なども様々で、何日にもわたって書かれたと考えられています。

東寺百合文書[京都学・歴彩館]後期-●

東寺の宝蔵と御影堂に伝わった、奈良時代から江戸時代までの古文書や書状など24,067通が1件の国宝として文化財指定を受けています。 名前の由来は、加賀藩主の前田綱紀が文書を書写させてもらったお礼として、文書の目録作成や整理をして100個の箱に納めたからだそうです。 今回はその中から、鎌倉~南北朝時代頃の「太政官符抄」という文書が公開されるようです。

両界曼荼羅図(伝真言院曼荼羅)[東寺/京都]前期●-

現在は東寺で行われている「後七日御修法」は、かつて宮中の真言院で行われていました。 この曼荼羅はそこで掛けられたと伝わるもので、彩色された曼荼羅では現存最古だそうです。 金剛界と胎蔵界の2幅ともが、前期のみに公開されます。

日本書紀(田中本)[奈良国立博物館]後期-●

日本書紀の現存最古の写本で、第10巻は応神天皇について書かれた巻です。 なぜそんな古い時代の日本書紀がこの展覧会に出されるかというと、日本書紀の紙背(紙の裏面)に空海の詩文集「性霊集」が書かれているからなんです。 表も現存最古ですが、性霊集としても現存最古の写本になるようです。

第5章 金剛峯寺と弘法大師信仰

五大力菩薩像[高野山有志八幡講十八箇院/和歌山]通期●● 公開レア度 ★★☆

五大力菩薩は仁王経という経典に出てくる仏尊で、菩薩ですが明王のような憤怒形であらわされます。 とてもかなり大きな掛軸で、火焔の中に描かれた姿はとても迫力があります。  五大力は、もちろん5尊でこの絵画も5幅あったのですが、明治時代の火事で2幅は消失し現在は3幅しか残っておらず、前期には「金剛吼」が、後期には「竜王吼」「無畏十力吼」の2幅が公開されます。 高野山霊宝館や展覧会でたまに公開されますが、公開が少なめの絵画です。

伝船中湧現観音像[高野山龍光院/和歌山]前期●- 公開レア度 ★★☆

空海の時代に唐に渡るのは命がけで、空海が乗った遣唐使船は1ヶ月も漂流し、目的とはかなり離れた福州に着いたのだそうです。 その時、空海の前に観音菩薩が現れて嵐を鎮めたという伝説があり、この絵はその観音菩薩を絵画化したものです。 平安時代に描かれたので衣の截金など大変豪華な仏画です。

後醍醐天皇宸翰 天長印信[醍醐寺/京都]前期●-

後醍醐天皇の直筆の書=宸翰で、当時は空海の直筆だと信じられていた「天長印信」を書写したものです。 印信は師が弟子に秘儀を授けたことを証明する書で、天長年間に書かれたので天長印信と呼ばれていましたが、元の書はすでに残っていないようです。 後醍醐天皇の書は和様に中国の影響を受けた「宸翰様」と呼ばれるもので、堂々とした立派な書です。

展覧会 概要

日程:2024/4/13~6/9
休館:月曜日(4/29と5/6は開館し、5/7が休館)
時間:9:30~17:00
料金:一般¥2,000、高大生¥1,500、中学生以下無料

奈良国立博物館 公式サイト
空海 KUKAI 展  特設ページ

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