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鑑賞ログ|顔真卿 王羲之を超えた名筆展(後期)@東京国立博物館

国宝鑑賞ログ

顔真卿 王羲之を超えた名筆展(後期)

最近の東博は「前期」「後期」どころじゃなく、期間を8つくらいに分けて展示品をずらしたりするので、完全に全部観るには3回くらい行かないといけません。 さすがに難しいので、何点かは諦めて前後の2回訪問しました。

今回の展示会は書聖達がこんなキャラになっています。 この8名の作品には、解説文の所にこのキャラがついているので、パッと見で分かりやすくて助かりました。 中国の名前は混乱してしまうので。。。

第一章「書体の変還」

前期・後期でほぼ展示替えがありませんでした。 前期の時にしっかり観たので、サラーっと流します。 それでも、1回目に全て観たからこそ、2回目は後世にどんな影響を及ぼしたか的な目線になって、観る角度や印象も変わってきます。

第二章「唐時代 安氏の乱まで」

国内からの出展物は、前回(2/1)から入れ替わったものがちょこちょこあります。 個人蔵の国宝『真草千字文』ですが、「千字文」は1,000個の漢字を1回ずつ使って作られた漢詩だそうで、真=楷書と、草=草書が1行ずつ交互に書かれています。 日本の「いろは」みたいなものでしょうか。

国宝の『世説新書』は4つありますが、今回は個人蔵の1点を除いた3点が交代で出展されています。 1/27までだった文化庁のものは見逃しましたが、前回は東博蔵を、今回は京博蔵のものを観ました。 名士のエピソード集ということで、なんとか読める部分を探しましたが、さっぱり分かりませんでした(泣)

もう一点、国宝『碣石調幽蘭第五』が出ていて、これは中国で書かれた「琴を弾くコツ」だそうです。 すでに中国には写本もなく、この品が世界で1つだけの現存する写本だそうです。

第三章「唐時代の書 顔真卿の活躍」祭姪文稿

第一会場・第二会場にまたがるボリュームゾーンですが、石碑の拓本なども多く、展示替えはあまり多くありません。 それにしても「台東区立書道博物館」のコレクションの充実に驚きました。 鴬谷と日暮里の間くらいで、ぐるっとパスで入場できるようなので、4月になったら行ってみようと思います。

台湾の国宝「祭姪文稿」は、後半になり噂が広がるにつれ列が伸びていきます。 金曜夜でも「60分待ち」でしたが、前回も表示より早かったのでやっぱり観ておくことに。 もう人生で最後かもしれませんもんね。 実際は40分ほどでたどり着きましたが、早く進めとせかされて印象に残るほどは観られませんでした。 動く歩道みたいの導入できませんかね?(笑)

第四章「日本における唐時代の書の受容」

全開は時間が足りず流し見になってしまったので、今回はここ以降をじっくり観ていこうと思います。 まず国宝の『賢愚経残巻(大聖武)』は、手鑑の巻頭にも貼られるもので、大聖武の大きさで手鑑の格が決まったというもの。 本当に「立派な」手跡です。

伝嵯峨天皇筆の「李嶠雑詠断簡」は国宝となっているのに名前がなく調べたら、陽明文庫の『大手鑑』の1帖でした。 名前の通り台紙の大きな手鑑で、隣には後鳥羽院の書が3点並んでいました。 それぞれ錦のヘリを付けて貼られています。 次のページには何が貼ってあるのか・・・、パラパラめくるなんて無理ですもんね。

その隣には、開始から11日間と、終了前11日間だけ出展される、伝橘逸勢筆の「伊都内親王願文」があります。 国宝も重文の指定もないですが、これは宮内庁所蔵=いわゆる「御物(ぎょぶつ)」なんです! 皇室や宮内庁のものは国宝クラスであっても文化財の指定をしないので、民間の所有だったらきっと指定を受けているのではないでしょうか。 内親王がお母様の供養で寄進した時の願文です。 橘逸勢が書いたと伝わる立派な行書ですが、最後に小さく可憐な字で「伊都」と書かれています。 小さな手形は、内親王のものだといわれているそうです。 レア出展なのでお見逃しなく。

もう一点、不明な国宝「臨王羲之尺牘 伝藤原行成筆」は、国宝の『秋萩帖』の一部でした。 秋萩帖は、藤原行成や小野道風の書を貼り合わせた巻物です。 これの王羲之の書状を臨書(真似して書くこと)した部分が展示されましたが、中国には模写すらない書状も多いようです。 他の国宝は、藤原佐理筆の『詩懐紙』なども出て、柔らかい和様の書を満喫できます。

第五章「宋時代における顔真卿の評価」

ここは北宋時代(=日本の平安後期)が中心で、情感のこもった書が評価されるようになっていきます。 全て日本の博物館からの出展で、重文指定の品もいくつか出展されています。

ニュースで知ったのですが、文化財指定のない「五馬図巻」は昨年度に東博へ寄贈されたもので、今回が初お披露目。 馬の名手として有名な画家「李公麟」の筆で、中国でも話題になったそうです。 北宋に献上された5頭の馬を描いていて、馬を引いている人物も全員異なる国や地域の風俗をしています。 ラストエンペラー溥儀が所有していたもので、弟から日本に渡ったのではないかと推測される由緒ある品。 馬がいきいきと描き分けられているので、見ごたえがありますよ。

第六章「後世への影響 ―王羲之神話の崩壊―」

元から清(日本の鎌倉時代~明治初期)までの書風の流行りで、端正な書と個性的な書が流行りを繰り返しながら、個性的な書が主流になっていく様子です。 王羲之は真筆が残っていないこともあり、書の基本として顔真卿が重視されていくんですね。

鑑賞ログ|顔真卿 王羲之を超えた名筆展(前期)

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