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国宝-建築|西本願寺 北能舞台[京都]

国宝DB-建築

西本願寺のこと

浄土真宗の総本山で、正式名称は「本願寺」だが、元は1つの宗派が分裂した真宗大谷派(東本願寺)と区別しやすいため「西本願寺」と呼ばれることが多い。 元は、東山にあった親鸞聖人の廟堂が発展したもので、焼き討ちや移転を経て、豊臣秀吉の京都整備で現在の地に移った。 聚楽第から移築された建造物が現存するなど、多くの文化財を現在まで伝えている。

左『御影堂』と右『阿弥陀堂』はともに国宝

国宝『北能舞台

西本願寺には、書院・対面所を挟んで南北にそれぞれ能舞台があり、北能舞台は国宝『白書院』を見所(観客が座る席)とし、重要文化財の「南能舞台」は対面所の鴻の間を見所としている。 北能舞台には、屋根の破風部分の飾り板「懸魚」に天正9年(1581)の銘があったとされ、現存最古の能舞台である。 橋掛の角度や床板の張り方などが独特であり、能舞台の形式が定まる前の自由な意匠だと考えられる。 北能舞台の東には国宝『黒書院』につながる『伝廊』が見える。

この国宝を観るには

西本願寺では、親鸞聖人の命日である毎月16日を「Shinran’s Day(親鸞聖人の日)」として、10時からの法要参拝者は書院の特別拝観にも参加でき、その時に見学できることがある。 当日の9~10時の間に龍虎殿で受付をすませ、参拝証を受け取らないと特別案内に参加できない。

非公開文化財の公開イベント等で公開される場合もある。

文化財指定データ

【台帳・管理ID】102_1820
【指定番号】00117
【種別】近世以前/その他
【指定名称】本願寺北能舞台
【ふりがな】ほんがんじきたのうぶたい
【員数】1棟
【国】日本
【時代・年】天正9年(1581年)
【構造・形式】舞台:桁行一間、梁間一間、一重、正面入母屋造、背面切妻造
 脇座:庇造、葺きおろし、檜皮葺、後座、桁行一間、梁間一間、片流、こけら葺
【所在地】京都市下京区堀川通花屋町下る本願寺門前町
【重文指定日】1908.08.01
【国宝指定日】1953.03.31
【説明】白書院の北側前庭に、上段の間に相対するように設けられた能舞台。白書院が見所となる。舞台、橋掛の構造意匠が簡素であること、屋根が比較的小さいこと、後座も本舞台と同じ様に床板が縦に張られていること、橋掛の舞台となす角度が急なことなどが特徴で、これらは江戸時代に入って様式が固定される前の自由な古式を伝えるものである。

出典:国指定文化財等データベース一部抜粋
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