石上神宮のこと
天理市にある布留山の山腹に位置する石上神宮は、古事記や日本書紀にも記載がみられるほど古い歴史がある。 ヤマト政権の軍事を掌った物部氏にゆかりが深く、古代では重要な存在であった。 鎌倉時代以降は、興福寺との抗争や、織田信長による破却などにあうが、明治期に復興をはたす。 現在は拝殿の奥に本殿があるが、明治時代までは本殿がなく、禁足地にご神体が埋斎されていた。
国宝『拝殿』
石上神宮は、平安末期に白河天皇の崇敬を受けており、現在の拝殿は、内裏にあった御殿を寄進されたものだと伝わる。 実際の造営年には諸説あり、平安末期~鎌倉期だと考えられる。
檜皮葺で入母屋造りの屋根を持ち、1間の向拝が付く。 神社建築というより寺院の特徴をよくそなえているため、国宝には「近世以前/寺院」として登録されている。
この国宝を観るには
季節により変動するが、原則として朝5:30~17:30の開門時間内なら参拝可能。 通常参拝では昇殿することはできず、拝殿の前で参拝することになる。
石上神宮の国宝
文化財指定データ
【台帳・管理ID】102-2594
出典:国指定文化財等データベース 一部抜粋
【指定番号】00167
【種別】近世以前/寺院
【指定名称】石上神宮拝殿
【ふりがな】いそのかみじんぐうはいでん
【員数】1棟
【時代・年】1185~1274年
【寸法・重量】【構造・形式】桁行七間、梁間四間、一重、入母屋造、向拝一間、檜皮葺
【附指定】棟札6枚
【所在地】奈良県天理市布留町
【国宝指定日】1954.03.20
鑑賞ログ
2019年6月
天理駅からは、あまり本数の多くないバスに10分ほど乗り、そこからさらに田舎道の坂を10分ほど登ります。 バスの途中には天理教の本部や教団の施設があり、慣れない人にはちょっとしたカルチャーショックかも。
境内に入ると、とたんに空気感が変わります。 特に人が少なかったこともあり、しんとしながらもキリリとした空気もあり、よい緊張感がありました。 拝殿はとても立派で華やかな建物。 古代信仰の中心地ながら、平安期には貴人の尊崇を受けたということで、この雰囲気が出来上がったのでしょうか。
境内には鶏が放し飼いにされていて、良い声を聞かせてくれました。 鶏小屋の近くには「鏡池」があって、向かいの社務所で売っていた「鯉の御八つ(おやつ)」大量で値段が高いのが気になりましたが、イラストがかわいいので買ってしまいました。・・・ですが、鯉がまったく食べてくれず。結局、東京まで持って帰ってきました。