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法隆寺 鐘楼・経蔵[奈良]

国宝DB-建築

法隆寺のこと

法隆寺は、元は聖徳太子が営んだ「斑鳩宮」があった場所に、亡くなった父「用明天皇」のために寺を建立したことに始まる。 太子亡き後の天智9年(670年)には、火災により伽藍を全て焼失するが、ほどなく復興されたのが現在の「西院伽藍」で、世界最古の木造建築とし世界遺産にも登録されている。

法隆寺 西院伽藍

法隆寺の中心地で、金堂五重搭が左右に並び立ち、手前の中門からぐるりと廻廊で囲んでいる。 廻廊は、上から見ると凸の形になっており、内側に折れ曲がって更に伸び、大講堂に左右からつながっている。 廻廊が折れ曲がってすぐのところに、廻廊にかぶさるように、向かって左の五重塔側には経蔵が、向かって右の金堂側には鐘楼がある。

国宝『鐘楼』

鐘を吊る建物で、上層部分に奈良時代に作られた銅製の鐘が吊られており、現在でも行事などの時に撞かれる。 反対側の経蔵と同形式の建物だが、鐘楼は延長3年(925年)の火災で、大講堂とともに焼失しており、寛弘2年~寛仁4年(1005~1020年)に経蔵を模して再建されたもの。

国宝『経蔵』

鐘楼は平安期の再建だが、経蔵は金堂・五重搭・回廊などとほぼ同じ時期の、飛鳥~奈良時代に作られている。 法隆寺の七不思議の1つでもある「三伏蔵」は、3ヶ所の地下蔵に宝物が納められており、全ての宝物が揃うと法隆寺が再興できるほどだという。 三伏蔵は、経蔵・金堂・大湯屋前の3ヶ所だと伝わる。

名前の通り経典を安置する場所だったが、現在は平安時代に作られた重要文化財「観勒僧正坐像」が安置されている。 観勒僧正は百済の僧で、推古帝で聖徳太子が政を執っていたいた頃に渡来し、経典や仏法だけでなく天文学や地理学などをもたらした。

この国宝を観るには

西院伽藍の有料拝観エリアにあるので、拝観時間内には観ることができる。 扉は閉ざされ内部は公開されていないが、鐘楼は鐘がのぞいている。

文化財指定データ

【台帳・管理ID】102-2687
【指定番号】00025
【種別】近世以前/寺院
【指定名称】法隆寺鐘楼
【ふりがな】ほうりゅうじしょうろう
【員数】1棟
【時代・年】寛弘2~寛仁4年(1005~1020年)
【構造・形式】桁行三間、梁間二間、楼造、切妻造、本瓦葺
【所在地】奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内
【国宝指定日】1951.06.09

【台帳・管理ID】102-2688
【指定番号】00026
【種別】近世以前/寺院
【指定名称】法隆寺経蔵
【ふりがな】ほうりゅうじきょうぞう
【員数】1棟
【時代・年】奈良時代
【構造・形式】桁行三間、梁間二間、楼造、切妻造、本瓦葺
【所在地】奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内
【国宝指定日】1951.06.09
【説明】法隆寺の西廻廊が五重塔背後で屈折し、大講堂に向かうその中間地点に位置する。天平様式を基調とすることから奈良時代の建築とみられ、現存する楼造の建物のなかでは最も古い遺構である。一階を高く二階を低くする上下のバランスもよく、簡素な切妻造の屋根と、二階床高さにまわる縁・高欄が全体をひきしめる役目をになっている。部分的に後補の材もまじるが、奈良時代の楼造建築を考えるうえではかけがえのない作例である。

出典:国指定文化財等データベース一部抜

鑑賞ログ

2019年11月

国宝だらけの法隆寺なので、内部を観られない鐘楼・経蔵は、スルーされがちです。 今回は来る前に、鐘楼・経蔵の手前にある廻廊の段差のところで、昔は廻廊が閉じられていたと知ったので、この角に注目しました。 経蔵は本当に地味ですが、鐘楼はよく見ると鐘が吊られているんですね。 何かの機会があったら、中を観てみたい。

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