スポンサーリンク

国宝-絵画|山越阿弥陀図[永観堂(禅林寺)/京都]

国宝DB-絵画

国宝『山越阿弥陀図』

平安時代以降、臨終の際に念仏を唱えると阿弥陀如来が迎えに来るという「来迎」が流行し、来迎の様子を描く「来迎図」も盛んに製作された。 鎌倉時代以降に出現する「山越阿弥陀」も来迎図の一種で、山の向こう(極楽浄土)から姿を現したところを表現したもの。 山越阿弥陀図は、京都国立博物館所蔵の国宝『山越阿弥陀図』や、金戒光明寺所蔵の重要文化財「山越阿弥陀図屏風」が有名。

本図は、緩やかな山間から阿弥陀如来が上半身を現している。 山の手前には、雲に乗った阿弥陀如来の脇侍「観音菩薩」「勢至菩薩」が山の向こうから降りてきたように描かれ、下部には四天王と2人と童子が幡をかかげている。 画面左上の凡字は大日如来を表しており、阿弥陀如来が大日如来でもあると示唆している。

阿弥陀如来の両脇に縦に折った線があるので、当初は屏風状だったと考えられている。 手には5色の糸が残っており、臨終近い人に糸の端を持たせ、阿弥陀如来と結んだもの。

国宝『山越阿弥陀図』 禅林寺(永観堂)
国宝『山越阿弥陀図』  阿弥陀如来と脇侍の観音・勢至菩薩
国宝『山越阿弥陀図』  下部には四天王と二童子が描かれる

禅林寺(永観堂)のこと

南禅寺の北隣に位置する禅林寺は、通称である「永観堂」のほうが通りがよく、京都でも指折りの紅葉の名所として、秋には多くの人が訪れる。 空海の弟子「真紹」により863年に創建され、真言密教の道場となる。 第7代の「永観」によって三論宗が取り入れられ、法然に深く帰依した第12代「静遍」と次代「証空」次々代「浄音」の頃に浄土宗の寺院となる。 山越阿弥陀図の他に、国宝『金銅蓮花文磬』を所有するが、毎年秋の寺宝公開では国宝は出展されない

永観堂 夜間ライトアップ

この国宝を観るには

永観堂のもう一点の国宝『金銅蓮華文磬』と共に、東京国立博物館の寄託されており、秋の寺宝展でも基本的には展示されない。 東京国立博物館の常設展でまれに展示されるか、特別展などへ貸し出される場合もある。

公開履歴

2025/10/7~11/30 九州国立博物館「法然と極楽浄土」※展示期間未確認
2024/10/8~12/1 京都国立博物館「法然と極楽浄土」※展示期間未確認
2022/11/5~12/4 永観堂「寺宝展」里帰り展示
2021/2/16~3/14 東京国立博物館 国宝室
2019/2/13~3/10 東京国立博物館 国宝室
2017/10/3~10/29 京都国立博物館「国宝展」
2014/11/11~12/7 東京国立博物館「日本国宝展」
2013/4/6~6/2 奈良国立博物館「當麻寺 -極楽浄土へのあこがれ-」
2011/10/25~12/4 東京国立博物館「法然と親鸞 ゆかりの名宝」
2006/9/26~10/22 東京国立博物館 国宝室

文化財指定データ

【台帳・管理ID】201-142
【指定番号】00136-00
【種別】絵画
【指定名称】絹本著色山越阿弥陀図
【ふりがな】けんぽんちゃくしょくやまごしあみだず
【員数】1幅
【国】日本
【時代・年】鎌倉時代
【所有者】禅林寺
【国宝指定日】1957.02.19

出典:国指定文化財等データベース一部抜粋

鑑賞ログ

2019年2月

東京国立博物館 国宝室
天井近くまでのとても大きな画で、品のいい顔の阿弥陀如来です。 大きく描かれるのは阿弥陀如来だけで、脇侍や四天王は小さく描かれている。
解説を読むと、この画の場所は、阿弥陀如来の極楽浄土であり、左上の凡字にある大日如来の世界でもあり、また私たちの住む穢土でもあるという密教的な浄土感だとのこと。難しい。。。

タイトルとURLをコピーしました