仁和寺のこと
仁和寺は、光孝天皇が「西山御願寺」を発願し、崩御後に子の宇多天皇の治世である仁和4年(888年)に完成したので、元号から「仁和寺」となった。 譲位した宇多法皇が入山し、以降も皇族が住職を務める「門跡寺院」として繁栄し「御室御所」とも呼ばれた。 現在は真言宗御室派の総本山で、華道の「御室流」の家元でもある。
応仁の乱で伽藍を焼失し一時荒れるが、三代将軍家光の頃に支援を受け伽藍が整った。 この時、京都御所は家光による「寛永の造営」をしており、その前の家康による「慶長の造営」の遺構をいくつか下賜された。 境内に咲く背の低い「御室桜」が有名である。
国宝『阿弥陀如来・両脇侍像』
仁和寺が創建された時に、本尊として金堂に安置された阿弥陀如来立像と、脇侍の観音菩薩・勢至菩薩坐像が3躯で1件として国宝に指定されている。 国宝の指定は「金堂安置」とされているが、現在は国宝の『金堂』ではなく、霊宝館に移されている。
ヒノキの一木造りに金箔をほどこしており、阿弥陀坐像は90cmほど、脇侍の立像は120~125cmで、三尊とも舟形の光背をつけている。 阿弥陀如来の印相(手の形)は、後には一般的となる「阿弥陀定印」を結び、これは現存する最古の作例である。 阿弥陀如来・勢至菩薩・観音菩薩の三尊形式の作例としても、最古となる。
この国宝を観るには
仁和寺の霊宝館は、春と秋の特別公開時期にしか開館されないが、この像は常に安置されており、開館期間には観ることができる。 特別公開などで、春・秋の定期開館以外にも公開される場合がある。
文化財指定データ
【台帳・管理ID】201-249
出典:国指定文化財等データベース一部抜粋
【指定番号】00086-00
【種別】彫刻
【指定名称】木造阿弥陀如来及両脇侍像(金堂安置)
【ふりがな】もくぞうあみだにょらいおよびりょうきょうじぞう
【員数】3躯
【国】日本
【時代・年】平安時代
【所在地】仁和寺
【国宝指定日】1954.03.20