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国宝-彫刻|仏頭(旧山田寺講堂本尊)[興福寺/奈良]

国宝DB-彫刻

山田寺のこと

蘇我馬子の孫で、蘇我入鹿の従兄にあたる「蘇我倉山田石川麻呂」の発願による氏寺。 石川麻呂は、蘇我一族だが入鹿とは不仲で、大化の改新にも参画し、当日は石川麻呂が文書を読み上げるのを合図に入鹿殺害が実行された。 その後は右大臣に登用されるが、謀反の疑いをかけられ、大化5年(649年)に一族と共に建造途中の山田寺で自害した。

寺の造営は一時中断するが、天智天皇から天武天皇の御代にかけて建造が進められ、天武天皇5年(676年)には塔が完成し、天武天皇14年(685年)には丈六仏の開眼供養が行われた。 石川麻呂の娘2人が天智天皇の宮中に入り、姉は持統天皇や大田皇女、妹は元明天皇ほか何名かの皇子女をもうけ、山田寺の造営にはこれらの人物がかかわったとも考えられる。

平安時代中頃までは栄えていたようだが、鎌倉時代頃にはかなり荒廃し、やがて廃寺となる。 現在は跡地に小堂が建つほか、基壇や礎石が並ぶ様子が見られる。

国宝『仏頭』

天武天皇14年(685年)に開眼供養が行われた山田寺講堂の本尊で、丈六の薬師如来であったという。 文治3年(1187年)に、脇侍とともに興福寺の僧兵によって持ち去られ、平家の焼討後に復興された東金堂の本尊とされる。 応永18年(1411年)に東金堂の焼失で頭部を残して焼けてしまうが、再建された東金堂の本尊薬師如来像の台座に納められ、昭和12年(1937年)に発見された。

火災もあり現在はほとんど見えないが、表面には鍍金がされていた。 張りの強い鼻や頬に、ゆったりとした弧を描く眉や目など、白鳳期の代表的な作品である。

興福寺パンフレットより

この国宝を観るには

興福寺の国宝館で常設展示されている。

時間:9:00~17:00(入館は15分前まで)
料金:一般¥700

文化財指定データ

【台帳・管理ID】201-277
【指定番号】00113-00
【種別】彫刻
【指定名称】銅造仏頭(旧山田寺講堂本尊)
【ふりがな】どうぞうぶっとう
【員数】1箇
【国】日本
【時代・年】668年
【所有者】興福寺
【国宝指定日】1967.06.15

出典:国指定文化財等データベース一部抜粋
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