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国宝-工芸|小桜韋威鎧(楯無鎧)[菅田天神社/山梨]

国宝DB-工芸

源氏八領とは

平安末期の騒乱について、鎌倉時代頃に書かれた軍記物語「保元物語」や「平治物語」に源氏の重宝として登場する8つの鎧が源氏八領と呼ばれる。 そのほとんどが、保元の乱と平治の乱で失われ、現存するのは楯無の鎧のみ。

源太産衣(げんたがうぶきぬ)
八龍(はちりょう)
楯無(たてなし)
薄金(うすかね)
膝丸(ひざまる)
月数(つきかず)
日数(ひかず)
沢瀉(おもだか)

国宝『小桜韋威鎧(兜・大袖付)』

源氏八領で唯一現存する「楯無の鎧」は、武田家の祖とされる源頼義の三男「新羅三郎義光」が受け継ぎ、楯が不要なほど丈夫だとこの名で呼ばれる。 山梨県塩山の雲峰寺に伝わる日の丸の「御旗」と共に、甲斐源氏武田家の重宝とされ、武田軍の重要な軍議では「御旗楯無も御照覧あれ」と唱和したという。 長篠の合戦で武田軍が敗れると家臣が向嶽寺に埋めるが、徳川家康が彫りだして菅田天神社に戻したという伝承がある。

平安時代後期に制作されたもので、国宝の指定名称になっている小桜韋威は、小桜紋を打った鹿の韋(なめし革)で威(おどす=小札をつなぎ合わせる)しているため。 兜の鍬形は、江戸時代に盗難にあい失われている。

国宝『小桜韋威鎧(楯無鎧)』菅田天神社
菅田天神社で公開時の説明パネル
国宝 小桜韋威鎧(楯無鎧)の模作[東京国立博物館]
国宝 小桜韋威鎧(楯無鎧)の模作[東京国立博物館]
国宝 小桜韋威鎧(楯無鎧)の模作[東京国立博物館]

この国宝を観るには

菅田天神社の収蔵庫で保管されているが、原則的に非公開。 ごくたまに1~数日公開されることがある。

2023年の公開時は2名ほどが1分ずつ近くで拝観する形で、写真撮影は可能だった。

菅田天神社の収蔵庫
国宝『小桜韋威鎧(楯無鎧)』菅田天神社

公開履歴

2024/10/20(9:30~11:30)菅田天神社 特別公開
2023/10/22(9:30~11:30)菅田天神社 特別公開
2019/8/7 菅田天神社 特別公開
2013/10/25〜27 菅田天神社「国民文化祭」※台風で中止

文化財指定データ

【台帳・管理ID】201-367
【指定番号】00079-00
【種別】工芸品
【指定名称】小桜韋威鎧〈兜、大袖付/〉
【ふりがな】こざくらかわおどしよろい〈かぶと、おおそでつき〉
【員数】1領
【時代・年】平安時代
【寸法・重量】胴高65.1 兜鉢高10.0 大袖長42.4
【品質・形状】胴裾開き。平札黒漆塗り、要所は鉄、革札一枚交じり、鉄札頭互の目形切付。威毛小桜藍染韋、毛引威し、耳糸紫韋、畦目菱縫紅猿鞣。前立挙二段、後押付板、逆板、三の板、衝胴四段。
【所有者】菅田天神社
【国宝指定日】1952.11.22
【説明】本鎧は、武田氏の宝物として相伝し、「楯無」と号したと伝える。信玄の時に菅田天神社に納めるが、長篠合戦に敗れた際に家臣田辺左衛門がこれをもって逃れ、向嶽寺の杉樹下に埋めた。これを徳川家康甲府入城の際に発掘して、再び同社に納めた。寛政十年に補修を受けたが、総体に平安時代後期の古雅な趣を遺しており、貴重である。

出典:国指定文化財等データベース一部抜粋
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