金剛場陀羅尼経とは
「金剛場陀羅尼経」は、インド出身の僧「闍那崛多(じゃなくった)」によって漢字に訳された密教の経典。 闍那崛多は560年頃に北周時代の長安で経典の漢訳を始め、途中の政変時は追放されながらも隋時代になると再び迎えられ600年頃に亡くなるまで経典の漢訳を続けた。
国宝『金剛場陀羅尼経』
本品は日本で写経されたもので、日本写経の経典としては最古のもの。 巻末の奥書に「宝林」という僧の名が見えるが、宝林によって書写されたか、別の形で関わったのかは不明である。 法隆寺の印が押されているので元は法隆寺蔵だと思われるが、個人蔵を経て現在は文化庁(国)が所有している。
麻で作った紙に書かれていて、書体は太宗皇帝時代の「三大家」にも数えられる欧陽詢(他は虞世南・褚遂良)や、その子の欧陽通に似ていると言われる。 6世紀後半に中国で漢訳された経典が、100年後には日本で写経されている事になる。
この国宝を観るには
あまり頻繁ではないが、博物館や美術館の展覧会に出展されることがある。
公開履歴
2022/11/2~12/4 朝日町歴史博物館「縄生廃寺からみる古代の眺め」
2019/1/16~2/24 東京国立博物館「顔真卿-王羲之を超えた名筆展」
2016/4/12~5/1 大阪市立美術館 「王羲之から空海へ」
2015/7/18~8/16 奈良国立博物館「白鳳-花ひらく仏教美術」
文化財指定データ
【台帳・管理ID】201-582
出典:国指定文化財等データベース一部抜粋
【指定番号】00036-00
【種別】書跡・典籍
【指定名称】金剛場陀羅尼経
【ふりがな】こんごうじょうだらにきょう
【員数】1巻
【国】日本
【時代・年】飛鳥時代
【ト書】奥書歳次丙戌年五月川内国志貴評内知識云々
【所有者】文化庁
【国宝指定日】1951.06.09
鑑賞ログ
2019年2月
東京国立博物館「顔真卿展」
日本で写された最古の写経という事と、筆跡を真似たのではないかと言われる欧陽詢が活躍した時代(7世紀前半)を考えると、日本で686年に写された時は最先端のものだったんだろうと思う。 巻末には大きく法隆寺の印が押してありました。