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国宝-古文書|嵯峨天皇宸翰 光定戒牒[延暦寺/滋賀]

国宝DB-古文書

嵯峨天皇のこと

嵯峨天皇は、平安遷都をした桓武天皇の第2皇子で、大同4年(809年)に兄の平城天皇から譲位され、弘仁14年(823年)に弟の淳和天皇に位を譲るまで14年余り天皇位にあった。 格式などの整備や宮中の儀式を整え、平安初期の唐風文化が大いに栄えた時代を作り、自身も詩文や書をよくし、空海と橘逸勢と共に「三筆」と称されるほどの能書家だった。

空海に官寺だった東寺を与え、最澄に戒壇を認めるなど、遣唐使がもたらした新仏教を庇護し、唐から戻った空海が筆を献上した際の『狸毛筆奉献表(空海筆)』が国宝に指定されている。 後宮が多く子女が50人を超え、源姓を与えて臣籍に降下させる賜姓源氏の始まりとなり、河原左大臣と呼ばれる源融も嵯峨天皇の皇子である。 譲位後は現在の大覚寺の地に嵯峨院を営み、この地で崩御している。

大覚寺 五大堂から大沢池を臨む

国宝『嵯峨天皇宸翰 光定戒牒』

嵯峨天皇の宸翰(=天皇の直筆のこと)で、最澄の弟子の「光定(こうじょう)」が比叡山の一乗止観院で大乗菩薩戒を受けた時に、正式な僧侶としての身分証「戒牒」を書き与えたもの。 三筆の1人で、手鑑などには多くの書が伝わる嵯峨天皇だが、確実な真筆はこの光定戒牒のみだとされる。 弘仁14年4月14日の日付があるが、この2日後の16日に淳和天皇が即位し、嵯峨天皇は上皇になっている。

この国宝を観るには

公開があまり多くなく、最澄や天台宗に関する展覧会や、書をテーマにした展覧会へ出展されることがある。

公開履歴

2022/4/16~5/8 延暦寺 国宝殿
2021/10/12~11/21 東京国立博物館「最澄と天台宗のすべて
2018/2/10~4/8 九州国立博物館「王羲之と日本の書」
2016/4/12~5/1 大阪市立美術館 「王羲之から空海へ」

文化財指定データ

【台帳・管理ID】201-800
【指定番号】00026-00
【種別】古文書
【指定名称】嵯峨天皇宸翰光定戒牒〈(弘仁十四年四月十四日)/〉
【ふりがな】さがてんのうしんかんこうじょうかいちょう
【員数】1巻
【国】823年
【所有者】延暦寺
【国宝指定日】1954.03.20

出典:国指定文化財等データベース一部抜粋
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