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国宝-古文書|亀山天皇宸翰[南禅寺]

国宝DB-古文書

南禅寺のこと

正応4年(1291年)に、亀山法皇が離宮であった「禅林寺殿」を禅寺として改め、る。 開山として迎えた大明国師 (無関普門)は高齢で、その年のうちに遷化(亡くなること)してしまうが、その後もその時代ごとに傑出した禅僧が入寺し京都五山の第一とされ、後には別格として第一の上に位置される。

2度の火災や応仁の乱で、当時の堂宇は焼失し荒廃する。 江戸時代になると、徳川家康の側近である「金地院崇伝」が塔頭を構え、徳川の後援もあって堂宇の再建がされる。 中心的建物である『方丈』は国宝に指定され、小堀遠州による庭や、狩野派による障壁画が有名。

南禅寺 山門(三門)
南禅寺方丈「虎の児渡しの庭」

国宝『亀山天皇宸翰』禅林寺御起願文案(永仁七年三月五日)

永仁7年(1299年)に、南禅寺を開いた亀山上皇の自筆「宸翰」で、禅林寺(南禅寺の前名、禅林禅寺とも)に関する願いや方針を定めたもの。 寺領を遠江国初倉荘・加賀国小坂荘・筑前国宗像荘とし、入寺するものは特定の流派によらず、優秀な禅僧が抜擢されることとした。 この文には「利生の悲願」とあり、生きとし生けるもの全てのために願われている。

この国宝を観るには

公開される機会は少なく、博物館での展覧会にまれに出展される。

公開履歴

2016/10/18~11/6 東京国立博物館 特別展「禅―心をかたちに―」
2016/4/12~5/1 京都国立博物館「禅ー心をかたちにー」

文化財指定データ

【台帳・管理ID】201-804
【指定番号】00030-00
【種別】古文書
【指定名称】亀山天皇宸翰禅林寺御起願文案〈永仁七年三月五日/〉
【ふりがな】かめやまてんのうしんかんぜんりんじごきがんもんあん
【員数】1巻
【時代・年】永仁7年(1299年)
【作者】亀山天皇
【附指定】南禅寺領諸国所々紛失御判物帖 1帖
【所有者】南禅寺
【国宝指定日】1953.03.31

出典:国指定文化財等データベース一部抜粋
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